「あったものをなかったことにはできない。」

 これ、もう今年の流行語大賞でいいのではないでしょうか。

 存在を「確認できない」と言われ続けた加計文書に対し、前文科事務次官が放った言葉です。

 これは現代における重要な教訓です。

 ちょうど今アメリカで似たような話が湧いていますが、それはまあわかるんです。

 元FBI長官にトランプ大統領が「捜査をやめろ」と介入したのか。直接的な言葉はなかったといいます。しかし、これは典型的な真実は藪の中。たとえ裁判で決着がつこうとも、負けた方は「それでも真実は違う」と言い続けることができます。

 しかし、加計文書はそうではなかったのです。だってあるかないかですから、あるのなら、出てきてしまえば、それでも「ない」と言い続けることはできないのです。

 そんなところで踏ん張ってはいけないということを全世界に印象付ける事件となるでしょう。

 ついに、再調査の指示が出ました。「やっぱりありませんでした」とはさすがに言えません。表現はひねってくるかもしれませんが事実上存在を認めることでしょう。

 普通なら、あるならあると認めて、それでも直接指示はしていないとか、手続きに違法性はないとか、そういう踏ん張れるところで踏ん張るべきだったのでしょう。

 平成は、「あったものをなかったことにはできない。」時代になったということです。昔なら、事実上なくせることもできたのでしょう。でもITが発展した今、事実上それは期待できなくなってしまいました。これはと思えばスマホで画面撮っとけばいいだけです。官僚だけでいえば、これだけ官邸に恐怖政治を敷かれているのですから、もうみなさん、まずそうなことはなんでもせっせと懐に蓄えていることでしょう。で、更迭されたら、告発するのです。

 これから、官邸と官僚の関係はどうなるんでしょう・・・。とそれについて話し出すと一つの話題になりそうです。

 「あったものをなかったことにはできない。」国のトップでもできなかった事実。私たちはそれを肝に銘じながら生きていかなければならないのです。

 
《ワンポイントミライ》(

ミライ: それはそれとして、これどこに着地するんでしょう。「実名で顔出せば『対応検討』」とか、割と堂々と国が個人を脅しましたよね。

フツクロウ: ホウじゃな。その言い振りは文書の存在は暗に認めておるからの。