「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その2) のつづきです。
少し寄り道をしてしまいましたが、今回は「やりぬく力」にまつわるの衝撃的な事実に話を戻します。
「やりぬく力」は私たち自身も持ちたいと思うし、自分の子供にも持って欲しいと思う力です。
その「やりぬく力」について考え始めると私たちはある衝撃的な事実に遭遇します。
それはこの「やりぬく力」に学歴は関係ないということです。
いい大学を出てなくたって、世の中で活躍している人はいくらでもいます。
将棋の羽生4冠とかなら、目指してれば東大くらい軽く受かってそうな気がしますが、トップアスリートになると目指してもトップクラスの大学には入れなくても不思議ではありません。だれもそれを非難することはないでしょう。
私が学生の頃、御飯を食べに通った居酒屋の常連さんたちは、有名人ではありませんが、基本的に何かをやり抜いた人生の先輩たちでした。私は基本的に「おまえは苦労してないからいかん」と説教される立場なのですが、つまり彼らは苦労をくぐり抜けた勝者なのです。
一方で彼らに共通する愚痴は、「もっと勉強しておけばよかった」でした。逆にいえば、それは社会で生き抜くためには学力以外のものがいるということであり、私は学生時代にそれを徹底的に思い知らされたのでした。
だいたい、「成功するには」というライフハック系の記事で、「小学から高校あるいは大学までの勉強を徹底的に復習せよ」って聞いたことがありますか?
成功するためには学校で学んだことこそが重要であり、したがって今からでも遅くない、徹底的に復習しよう
なんて聞きません。まあ、人は聞きたくないことは聞きたくない傾向にあって、こんなの聞きたくないことの筆頭ですから、言ったところで、みなガン無視なのかもしれませんが、まあ冷静に考えて、「学問」の内容そのものをいくら理解したところで、物事をやり通すこととはあまり関係はなさそうです。
そこまでわかっているのなら、義務教育でも「やり抜く力」を育むべきです。
もちろん全員がトップアスリート級の最上級の「やり抜く力」を身につけることはできませんが、地域社会の中で地域の問題を解決するくらい、それはたとえば「道の駅」で売れる商品を作り出すといったことでもかまいません、それくらいの「やり抜く力」を身につけることは、これだけ社会に無数の地域の問題がある現代では喫緊の問題です。
そんなことはわかりきっていますから、義務教育の場でも「粘り強く問題に取り組む生徒を育成しよう」なんて目標はさんざん語られていることでしょう。調べてませんけど。
でも、この目標に対して、今までの学校教育はほとんど無力だったのです。
どうして無力なのでしょうか。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: え、と、ここまで「努力」はいらないけど、「やりぬく力」がいる、ということでしょうか。
フツクロウ: ホウじゃな。
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