曹洞宗の僧であり臨床心理士でもある吉村 昇洋さんの著書『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え』には、このように書かれています。
人間は、自分の力ではエネルギーを生成できず、食べ物ひとつひとつのいのちをいただいて、自分のいのちにせざるを得ないわけですから、「私のいのち」と「食べ物のいのち」は等価値と言えます。であれば、私たちは食べ物に対して、傲慢に振る舞うことはできないはずです。
(『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え』P36より)
傲慢に振る舞わず、真摯にいただくのが理想の食べかたと言えそうです。
とはいえ調味料を食べているかのような現代風の味の濃い料理では、食べ物のいのちである食材としっかり向き合えません。自然と調味料も減り、食材としっかり向き合えるようになるのが、精進料理の作法でもある、口に入れるたびに箸を置くという食べかたです。
口に食材を含んだら、いちど箸を置くことで、手に何も持たない状態で咀嚼することになります。すると自然と噛むことに注意が向き、結果、食材をしっかり味わうことができるのです。
坐禅に通じる食べかたさらに吉村さんはこう言います。
咀嚼以外の精神活動を抑制し、自分の身に起きている「今この瞬間」に向き合う姿は、坐禅にも通じるところです。
(『心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え』P62より)
食材と向きあうようにしっかり味わい、咀嚼に集中すると、自然と坐禅にも通じる食べかたになるのですね。
また料理をする際には、歯ごたえが残るように調理すると、さらにしっかりと噛むことになるため、噛みしめたときにその食材のもともと持っていた味をダイレクトに堪能できるのだとか。
このように食材との向き合いかたを考えながら料理をし、またそれを真摯にいただくことで、「何を食べるか」よりも「どのように食べるか」のほうが重要であると気づきました。
[心が疲れたらお粥を食べなさい。 豊かに食べ、丁寧に生きる禅の教え]
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