私の好きな、弥治郎系・新山学さんのこけし。学さんは昭和5年生まれの84歳。

はじめて宮城県の温泉地・鳴子へと旅立ったのは、2002年の秋でした。ジャーナリスト・林央子さんが発行する個人雑誌『here and there』に掲載されていた「なるこ日記」を読み、湯治場と呼ばれる昔ながらの温泉地と、温泉地のみやげとして発展してきた「こけし」に感興がわいて。

「鳴子郵便局」に新しく設置された、こけしポスト。こけしの風景印も押してもらえます。 

町なかに佇む、こけし電話ボックス。

道端のポールも、こけしの形。

平日の鳴子の町は人もまばらで、目抜き通りに連なるみやげもの屋は店番さえ見当たらず、買いものをするのに裏方に向かって何度か声をかけることも。けれども、それがかえって快い思い出に。店にずらりと並ぶこけしをゆっくりと見ることができたし、東京の満員電車や行列に少し疲れてしまっていたので。

宿泊は、こけし柄の浴衣の「鳴子ホテル」。

鳴子への旅をきっかけに、日本全国のおみやげを紹介する『乙女みやげ』(小学館)という本を書きました。巻頭で、日本のおみやげもののルーツとして「伝統こけし」をとりあげ、本を読んだり民芸店に通ったり、勉強をはじめたらおもしろくて。

東北地方の温泉地の近くに住み、木の碗や盆を製作していた木地屋が、こけしをつくるようになったのは江戸期。農閑期に温泉を訪れる農民を相手に、子どもの玩具やおみやげとして売られた。

大正時代、キューピー人形が流行したことで、玩具としての人気は衰退したけれど、その頃から趣味で蒐集するおとなが増えて、次第にこけしは鑑賞物へと変化を遂げる。

いまも東北地方の全県下でつくられているこけしを「伝統こけし」といい、産地ごとに姿態や表情が異なる約11系統に分類される。それぞれの工人が、師匠から弟子、親から子への相伝をおこない、家系ごとの違いはありつつも、地域共通の形や模様の特徴は守られた。

(甲斐みのり著『乙女みやげ』より)

知れば知るほど、描彩の妙味や、工人さんの個性を感じて、少しずつ買い集めるように。希少価値にはとらわれず、今も純粋に自分の胸を打つものを求めています。

こけしとの出会いのきっかけとなった鳴子温泉では、毎年9月最初の週末に「全国こけし祭り」が開催されます。神社での奉納式の他、各系統の工人が集まり、実演展示即売会や、コンクール入賞作品の展示がおこなわれたり。

観光地でおなじみの顔はめ。

工人さんによる、こけしつくりの実演。

夜には奇天烈なフェスティバルパレードも。公募で選ばれた一般参加者がすっぽりかぶった、無数の大きなはりぼてこけしと、こけし柄の着物に身を包み、鳴子踊りを踊る大集団がともに「こけし通り」と名付けられた目抜き通りをじりじり進むのです。

「全国こけし祭り」の、はりぼてこけしのフェスティバルパレード。

「鳴子踊り」の一行。お揃いのこけし柄の着物をお召しに。

鳴子には紅葉の名所「鳴子峡」もあって、秋の旅先におすすめ。来年の9月にもおこなわれる「全国こけし祭り」も、いまからぜひ旅の候補に。

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