誰でもひとつやふたつはあるトラウマ。程度の大小はあるにせよ、ときどき思い出しては辛くなるものです。自分がまだトラウマを抱えたままなのか、それとも単に思い出してしまっているだけなのか、気になりませんか?
そんな疑問に答えてくれる、こんな言葉をみつけました。
トラウマを克服したか知る方法トラウマを乗り越えた人たちは、回想した際に、自分が登場する。
一方、乗り越えてない人たちは、回想した際に、自分はそこにいないわけです。(「あした死ぬかもよ?」219ページより引用)
両者の違いは、自分を客観視できているかどうか。たとえば親との関係になにかトラウマがある場合、回想したときに親しか出てこないときは、トラウマがまだあるという証拠。現実と同じで、自分の姿は見えていないというのです。
たしかに今の瞬間の自分は見えません。でも昨日の自分を思い出すときは、なぜか自分がその回想のなかに自分がいます。絵日記を書くときも、自分の姿をそこに描きます。
この不思議な現象に今まで疑問を持っていませんでしたが、これにはいったい、どういう意味があるのでしょうか?
自分を客観的に見られるこの視線こそ、自分を癒す力になるということです。
(「あした死ぬかもよ?」219ページより引用)
以前ご紹介した「ヴィパッサナー瞑想」で、ありのままを見る「客観視」によって、人はツラさから解放されました。ありのままを邪魔する思考が苦しみを生み出しているとすれば、トラウマを抱えている場合はそんな「邪魔をする」思考が問題なのかもしれません。
たとえば親に言われたことがトラウマになっている場合、何かを「親が言った」だけなのに、そこに自分で「酷いことを」と付け加えたことで、心の傷となってしまった可能性がありそうです。
トラウマ自体を客観視すれば、乗り越えられるものがありそうです。
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