「縄文」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。とても古い昔に藁の服を着て、狩猟の日々を送っていたプリミティブな姿を想起する人も多いのではないかと思います。文字がない(残っていない)時代なので、どのような暮らしぶりをしていたのか具体的に知る術はないのですが、発掘される土器や石器などから生活や文化の一端を伺い知ることができます。
今回の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」では史上初めて国宝指定された縄文土器が一堂に会するという企画で、MAAとしても是非鑑賞したいということになって文化レク設定となりました(私が個人的に押し切ったという噂も…)。
崩れた表現ですけれど、いやー、ホントに素晴らしかったですね。1万年を超える時間の隔ての先に、確かに息づいていた人々の生。自らを着飾る装飾品の数々や、生活を支える品々がズラリと並んでおりました。現代から遠い昔のことを考えるに「生きるのに精いっぱい」といった想像をしがちでありますが、居並ぶ発掘物はそうした偏見を否応なく退けます。
食器や鍋に該当するものを見ても、単に「使えれば良い」といったものばかりではありません。縄文の名のごとく、縄で跡を付けた装飾を散りばめてあったり、石を磨いて身に着ける美しいアクセサリーのようなものを作っていたり、火を表現した国宝「火焔型土器」なども極めて秀逸。縄文人の豊かな感性には唸らされることばかりでありました。
展示では日本の縄文時代と並行して、同時代における世界の文化・文明の様相が対比されながら鑑賞できるコーナーもありました。こうした試みは自国の文化を相対的に見る習慣が付くもので、好ましいスタイルだと私は思います。当然ではありますが国家や地域の優劣を論じるために文化があるわけではなく、その形成過程を辿りそれぞれの因果や相関を考えることが、人類史の研究にとって有益な視点となると考えます。
ともあれ、我が国の縄文文化は同時代の世界の文物と比較検討してみても相当に豊かな内容を持っており、その独特の感性や技術に舌を巻きます。シュメール文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明等々における文物も並んでいましたが、それらに比肩し得る「縄文文明」と呼んで良いような力強い「意志ある営み」が確認できたことをとても喜ばしく感じた次第です。
会場を進むと、一堂に会した縄文時代の国宝たちが姿を見せます。圧巻そのもの。私はこれまで中空土偶については見たことがあったものの、その他の土偶は初めて接するものばかりで、妊娠中の女性の表現、何かを祈る姿そのものの土偶など、見る者を揺さぶらずにはいない「縄文人の意志」が伝わってくるようでした。
国宝指定に至る基準の考え方も示されていて、土偶自体の価値はもちろん、その発掘状況や周辺が意味するストーリーまで整っていることが重視されるような説明でした。例えば、人間を埋葬してあったそばに置かれていた土偶なら「祭祀的使用」が推測されるでしょうし、貝塚のような食べ物に関する周辺で発掘されれば、その豊穣を願う意味が込められていたかもしれません。そうした、当時の人々の思想・思考・生活様式に迫るような発掘物であれば高い価値を認めるという現代的解釈が行われているわけですね。
展示最終盤では、「縄文を見つめた現代の巨匠たち」が紹介されていました。芸術家の岡本太郎氏がその筆頭でしょうけれど、縄文を「美」と捉えて今を生きる人々の関心を呼び込んだ功績は、相当大きいと認められます。また、社会的にも「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録へ向けて着々と歩を進めております。早ければ2020年には実現するのではないかという見立てもあるようで、三内丸山遺跡をはじめとした多くの縄文遺跡をまとめて登録するという壮大な運動ですね。
テクノロジー全盛の現代にあって、人間の内なるものから放たれる「美」を感じる場面はそう多くないかもしれません。今回の縄文展で感じた「美の鼓動」が私の生涯に渡ってこの胸中に響き続けることを確信しつつ、本稿を締めたいと思います。
-平成館入り口-
-記念撮影ブース-
-縄文を芸術的視点で捉え直した岡本太郎-
-撮影許可されていた土器-
-会場内のコインロッカーは100円返却式-
-上野・精養軒のテラスから望む夕日-
-MAA集合写真-
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