水間条項国益最前線レポート

獄中十八年 徳田球一編 四.七高生から代用教員

2016/12/02 20:00 投稿

  • タグ:
  • 登録タグはありません
  • タグ:
  • 登録タグはありません
 沖縄中學卒業後、一年間東京で豫備校生活をしたのち七高に入つたが、貧乏で學資もなかつたので、はじめ母の異母弟にあたる叔父の家に世話になつた。この人は大してわるくなかつたが、その母がひどい人で、わたしが琉球人の腹だというのでおなじ食卓でめしをくうことをこばみ、ぜんぶ下男と一しよにさせた。湯殿はあつたがわたしが湯に入るときたないといつて湯にも入れない。だかわたしは町の銭湯にいつた。そういう侮辱をうけるのでとうていがまんができなくなり、寄宿合に入つたが、さうなると金が足りないので、とうとう高等學校は一年在學しただけで中途退學し、一九一三年(大正二年)に琉球にかえつてしまつた。
 

ここから先は有料になります

ニコニコポイントで購入する

チャンネルに入会して購読する

  • この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事

水間条項国益最前線

水間条項国益最前線

月額
¥550  (税込)
このチャンネルの詳細