獄中十八年 徳田球一編 一.小さな正義派
一八九四年(明治二十七年)沖縄縣 國頭(クンチャン)郡 名護(ナゴ)村にうまれた。わたしが共産主義者になつたのには特殊な事情がある。―わたしの祖父は鹿兒島で舊(旧)藩時代に船乗りからだんだん立身してきた廻船問屋だつた。琉球に船をもつてきて、外國からのいろいろな物資を非常に安く買い、それを鹿兒島や門司や大阪に賣りさばく商賣をしていた。そういう船問屋は、みんな琉球で女をもつていた。私の父はそういふ鹿兒島人と、その妾の琉球の女とのあいだにうまれたのである。わたしの母もやはりそういう船問屋の主人と琉球人の妾とのあいだにうまれた。
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2016/11/02(水) 09:37 【獄中十八年:徳田球一・志賀義雄】(時事通信社、1947年2月15日発行)を《連載するにあたって》
コメント
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徳田氏の出自に驚いた。これはごく一部分ではあるろうが知られざる日本の歴史の学びである。しかし、実は世界中こういう歴史があったのではないか、また現在もこのような国や地域もあるのではないか、と思う。