本作の原典は、醒睡笑巻の四「唯有」の章である。
醒睡笑には話毎に題名がないので、底辺亭底辺がこの仮題を付けた。
著作 安楽庵策伝
脚本 底辺亭底辺
伊勢桑名の本願寺に一代住持の秀海と云う長老が居た。
七日前から自身の死を悟り、信者達に彼岸の法話を終えた後「南無阿弥陀仏」を伝授して
高座で合掌したまま逝去したと伝わる高僧である。
そんな秀海が存命中のある日。
報恩寺と云う高名な侍から招待された時があった。
弟子の祐光坊が予め秀海に注意していたことは以下の通り。
「振舞というと皆、敬意から可能な限りの御馳走を用意して下さります。
ですので、その御馳走に一言のお褒めの言葉もない場合、招待者は大抵落胆します。
明朝の振舞はきっと手厚いでしょう。
ですので、必ずお褒めの言葉を掛けて下さいませ。」
弟子の進言に対して、秀海は異議なく素直に承諾した。
その後、二人は報恩寺の邸宅に赴き、高位の人々と共に招待席に座った。
そして、報恩寺の家人が膳を運び始めた時の事である。
秀海は汁も菜も見ずに、「報恩寺殿、報恩寺殿! 御馳走!」と声を掛けた。
慌てて祐光坊がこれを睨むと、秀海は「忘れないうちにな。」と答えた。
『醒睡笑』
江戸時代初期に刊行された笑話集。
著者は安楽庵策伝(浄土宗)。
『桑名の本願寺』
本願寺教如が娘の長姫(おさひめ)に開基させた桑名別院とは別物。
策伝と同じく西山浄土宗の寺院である。
『報恩寺』
同じ桑名市内に報恩寺なる寺院は存在する。
宗派は浄土真宗・本願寺派である。
『この話の何が面白いの?』
同宗の秀会長老を「一代の聖僧」と冒頭で讃えた策伝が、
真宗の報恩寺を「名だたる侍」と表記している点に考察の余地があるのだろう。
勿論この話は少し繊細なので、あまりクローズアップされて来なかったし、当然落語化もされていない。
醒睡笑には話毎に題名がないので、底辺亭底辺がこの仮題を付けた。
著作 安楽庵策伝
脚本 底辺亭底辺
伊勢桑名の本願寺に一代住持の秀海と云う長老が居た。
七日前から自身の死を悟り、信者達に彼岸の法話を終えた後「南無阿弥陀仏」を伝授して
高座で合掌したまま逝去したと伝わる高僧である。
そんな秀海が存命中のある日。
報恩寺と云う高名な侍から招待された時があった。
弟子の祐光坊が予め秀海に注意していたことは以下の通り。
「振舞というと皆、敬意から可能な限りの御馳走を用意して下さります。
ですので、その御馳走に一言のお褒めの言葉もない場合、招待者は大抵落胆します。
明朝の振舞はきっと手厚いでしょう。
ですので、必ずお褒めの言葉を掛けて下さいませ。」
弟子の進言に対して、秀海は異議なく素直に承諾した。
その後、二人は報恩寺の邸宅に赴き、高位の人々と共に招待席に座った。
そして、報恩寺の家人が膳を運び始めた時の事である。
秀海は汁も菜も見ずに、「報恩寺殿、報恩寺殿! 御馳走!」と声を掛けた。
慌てて祐光坊がこれを睨むと、秀海は「忘れないうちにな。」と答えた。
『醒睡笑』
江戸時代初期に刊行された笑話集。
著者は安楽庵策伝(浄土宗)。
『桑名の本願寺』
本願寺教如が娘の長姫(おさひめ)に開基させた桑名別院とは別物。
策伝と同じく西山浄土宗の寺院である。
『報恩寺』
同じ桑名市内に報恩寺なる寺院は存在する。
宗派は浄土真宗・本願寺派である。
『この話の何が面白いの?』
同宗の秀会長老を「一代の聖僧」と冒頭で讃えた策伝が、
真宗の報恩寺を「名だたる侍」と表記している点に考察の余地があるのだろう。
勿論この話は少し繊細なので、あまりクローズアップされて来なかったし、当然落語化もされていない。
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