「多分あんたには表現したいことなんて、なんにもないんだと思う。」
8ヶ月目に閃いた答えが、これ。今のところ、これが一番納得する考え。
先日、高校時代の先輩と、偶然最寄駅で再会した。Facebookに寄れば、先輩は新宿区で友達とルームシェアをしているようだが、その日はたまたま金曜日の夜だということもあり、実家に帰ってきたようだった。
「みーちゃん!お久しぶり!元気してた?」
よくある「再会」のノリで先輩に話しかけられた。高校時代に比べたら、顔がしゅっと引き締まっている。それ以外に変化は特になく、直ぐに誰だかは気がついた。はきはきしているなかにも、何処かまったりと、のんびりとした、「確固たる自分だけの時」が流れている様子を醸し出す喋り方は、今でも私の心の端っこを燻るものがある。そのまま私たちは近くのダイニングバーに向かい、カウンター席に座った。
先輩は今、銀座の一角にあるギャラリーで受付の仕事をしながら、写真を撮ったり、絵を描いたりしているようだった。高校卒業後は美大に進学、卒業していることは分かっていたので、その現状に対し、意外性を感じることはなかった。
「先輩、やっぱり芸術に関わっているんですね。」
「そりゃあそうだよ。指定校推薦で美大に入ったんだもん。高校時代からずっと何らか、芸術に関わるつもりではいたよ。」
「そっか・・・。」
「うん。みーちゃんは何か書いたり、作ったりしないの?大学はどこ行ったんだっけ?何学部だっけ。文学部とかじゃなかった?」
「モノを書いたり、作ったりは・・・ないですね。大学は、まあ私立の普通のところの、学際系の学部です。結局何を学んだのだかよくわからないまま卒業しちゃいました。」
「まあ。私大文系なんてそんなものでしょ。でも、みーちゃん、絶対なんか書いたほうがいいよ。あたし高校のときからそう思ってたよ。」
まさか。先輩まで。
たまに言われるのだ。
特に男の子に。
「お前はブログの文章だけでは勿体ない。1本小説を書いてみろ。」と。
女の人に言われたのは、これが初めてかもしれない。
「たまに言われるんですけど。特に男の子には。でもなんかな。書くの怖いんですよ。こう、なんつうか、自分のことしか絶対に書けないし・・・。何だろう。書いていると自分から目を逸らせなくなるから、辛かったこと苦しかったことが一気に押し寄せるんです。一回試しに書いてみたけど・・・。気持ち悪くなっちゃって。トイレで吐いてました。だからもうやめようって。」
「確かに表現するっていうことは、そういう一面があるよ。それを乗り越えて皆モノを作るんだよ。みーちゃんなら乗り越えられると思うんだけどなあ。」
「・・・どうしてですか?」
思わず強い口調になってしまった。いつもこうなのだ。相手に対して、理由を問い詰めたくなる。どうして相手が自分に対してそのように感じたのか、一から十まで説明してもらわないと気が済まない。「なんとなく、雰囲気で」と言う答えが、私には通用しないのだ。
「なんでだろ。なんとなく。」
「なんとなく、かぁ。」
「みーちゃんは昔からそうだよね。絶対に理由を聞きたがる。でもそんな理由、本当にみーちゃんに対して必要なものなのかな。」
あれ。昔から?私高校時代に先輩に対して同じような態度を何回も取ったっけ?記憶がない。記憶がなくても、先輩が覚えているのなら、自覚なしに同じようなことをしていたのかもしれない。
「そんなこと、先輩に対しては、記憶にないんですけど・・・。でも。理由は聞いちゃいますね。自分に自信がないので。」
「うん、そうそう。自分に自信がないのは知っているよ。でもだからって理由付けしたところで、それに対してまた、どうして?どうして?って聞くのがみーちゃんでしょ?」
先輩はニヤニヤ笑いながら、私にそう返答した。そのあと、グラスに残っていたビールを飲み干し、店員に「同じもの、もう一つ。」と注文をした。私は返す言葉を一生懸命探す他に、気が回らなかった。そうだ。恐らく堂々巡りだ。すべての事象に対してそうだ。特に恋愛に関しては。堂々巡りから抜け出せなくて、一人でぐるぐると同じところを廻り続け、恋人を辟易させてしまった。ひりひりと胸を抉る生傷は、少しだけかさぶたになってくれたと思ったのに。かさぶたにまた爪をいれ、傷を抉り返そうとし始めている。
「今日はね。ママが、おうちにウイスキーがあるっていうから。ビールだけにしておこうと思って。」
急に動揺し始めた私を見かねてか、先輩はそう呟いた。
「そうなんですか。先輩、お酒強いのに、次もビールだなんて、変だなって思ったんです。」
そつない言葉を返す。
「みーちゃん、相手に対して、もの言いすぎちゃうタイプじゃない?言いすぎちゃうっていうか、言いたいことが的を射すぎていると言うか。いや、言いたいことを、言えてしまうタイプ?かな。」
「言いたいことを言えてしまう?それはどういうことですか?」
「ほらまた。」
あ・・・。同じことを繰り返している。それでも、気になったことは聞いておかないと、やっぱりなんていうか、その、落ち着かない。
「なんだろうなあ。良いことも悪いことも、遠慮なしにまっすぐ出てくるんだよね。みーちゃん以外の人が言う、『所謂、言葉にならない』なんていう感情をさ、言葉にして口から外に出してしまうんだよ。ストレートにね。」
少しの間私は黙った。次に出てきた言葉を、言うか言わぬか、迷った。この一言を言ってしまえば、私はとめどない感情にまた覆い尽くされて、壊れてしまいそうな気がした。
「だって、なんかもう、言わないとなんも、なんもわかんないじゃないですか。不安なんですよ。言葉にしていないと。ダメなんですよ、空気読むのとか。できないんです。」
・・・やっぱりだ。一言放つと、一気にかさぶたが抉り返ってしまった。また、生傷が外気に晒される。だって、言わないとわからない。私がどれだけ恋人のことを思っていたのか。不安を感じたのか。言われないとわからない。どうして恋人が私のことを思ってくれるのか。この世の中の無数の女の子の中から、何故私を選んでくれたのか。顔も可愛い方でもなく、自意識だけが高い、その割に自分の中は空っぽで、手の内に握っているものも何もない、私を、選んでくれたのか。芸術的なセンスと技術を自らの手で伸ばし、「自分が作りたいもの作っている時が一番いい」と常に呟いていた恋人が、何故私を選んでくれたのか。比較すれば手の内にある物の数など圧倒的に違う。何もできない自分を惨めに感じてしまうぐらいだ。
一度その思考に嵌ってしまうと抜け出すまでにはかなり時間がかかる。正直に言うと、先輩には大変申し訳ないのだが、一刻も早くグラスのビールを飲み干して、家に帰って大泣きしたい気分だった。
涙を必死で堪えようとする私の姿に、先輩は気づかない振りをした。
「うん。そればっかりじゃ、ダメだと思うけどね。たまには空気を読むというか、雰囲気で相手の心を掴めなきゃ、ダメだ。」
「はい・・・。」
「でもね。」
先輩は、強い言い方で、話を切り替え出す。
「でも?」
「自分の思ったことを言葉にすることができない人間に、表現は無理だよ。だからつまり、みーちゃんは、やっぱり表現するに比較的向いていると思う。私もさ、大学時代から今まで、色々な人の作品見たり、一緒に作品作ったりして思ったんだけどね。音楽も写真も絵も、なんでも出来るって言う人の作品見ても、何も伝わらないこともね、あるんだよ。確かに技術はあるよ。でもそれも、小手先だけのっていうのかな。実際に話をしてみると、なんかこう、真意が見えてこないというか。何を考えているのか相手に伝えようとしないとか。抽象論だけで終わっちゃうとか。ああ、この人自身には、中身ないんだなあって思う。」
「・・・。そんなもんなんですか。」
先輩の2杯目のビールがカウンターに置かれる。先輩はにこっと笑って、それを二口ぐらい、飲んだ。
そうだったのか。
私が抱いてきた違和感に、一歩近づいた。
芸術的なセンスと技術を粗方持った恋人の作るものに、いまいち共感できない理由が、ここにあった。確かに私には何かを作り出す力などないし、勢いも、覚悟もない。常に自分を縛り上げ、表現することから遠ざかってきた。しかし、感じる力だけは人一倍にあったのかもしれない。恋人が作るものに対し、常に何かしらの違和感を抱いてきた。「それ、どこがいいの?」「それ、結局伝えたいものは何?」そう聞きたい気持ちを堪えながらも、「まあ、いーんじゃない?」と答え続けてきた。
「そんなもんだよ。まあ、あたしがそんなもんだって感じているだけかもしれないけど、でも、そんなもんだよ。表現する術を知っていることと、表現したい事柄があるかというのは、多分別物。まあ、表現する術を知っている人間のうちの大体は、表現したい事柄があると思って表現しているのだろうけどね。そこのところ、混同されやすいと思うよ。みーちゃんは、術を知らないだけで、事柄には満ち溢れているんだろうなって、思ったんだよね。自分の感情を、ちゃんと言葉にできるから。はい、みーちゃんの疑問に答えたよ。」
恋人は、私に辟易したのか、いつぞやから私への連絡を断ってしまった。いくら私が「好きなの?嫌いなの?中途半端な気持ちなの?なんでもいいから答えてよ。」と訴えたところで、返事はなかった。ただ、たまにWeb上で「伝えたいことをどう言葉にしていいかわからない。」と発言していることを、見かけることはあった。だったらそれを直接私に言ってくれればいいのに、どうしてそれが出来ないのだろう。そう思い、悔しくて何度泣いたことか、もう計り知れない。しかし、確かに、先輩の言うとおりだ。自分の思うことを思うままにありのままの形でさえも言うことが出来ない人間が、自分の思うことの形も縁どれない人間が、誰かの心を揺れ動かすような作品を作れる訳がない。私が抱いてきた違和感は、解消に近づいた。悔しさも残るが、どこか救われた気がした。そりゃあそうだ。私に対してのみならず、恋人は、誰に対しても何に対しても、自分の思いをぶつけることが出来ない人間なのだ。きっと。私だけが悪いわけではない。私だけにすべての原因があるわけではない。作品に対して常に疑問を抱いていたことも、何も私が悪いわけではない。そもそも。そもそもなのだ。
「多分あんたには表現したいことなんて、何もないんだと思う。」
「先輩、有難うございます。」
「そう。他に聞きたいことは、ないの?もう大丈夫?」
「聞いてしまうと、きりがなくなっちゃうので、もうやめておきます。」
「それが正解だよ。あとは自分で考えな。自分で考えられる人にならないとさ。」
気づいたら先輩のグラスは空っぽだった。私もグラスに残ったあとわずかのビールを一気に飲み干す。
「じゃあ。帰るか。ママが待ってるし。パパももうすぐ帰ってくるって言うし。うん。ごめんね、なんかあたしのペースで付き合わせちゃって。」
一気に空になった私のグラスを見て、先輩はそう言った。
お会計は、私がトイレに行っている間に、先輩が済ませてくれたようだった。
「先輩。」
またも、涙を堪えながら、私は続けて言った。
「いつになるかわかんないんですけれど、ちょっと本当に怖いんですけど、自分がどうなっちゃうかわかんなくて、嫌なんですけど・・・。私、お話を、書いてみようと思います。絶対自分のことしか書けないと思うんですけど。でも、いつか、完成させたいなって、思います。」
言葉と共に、白い息も吐き出されていく。涙も堪え切れず、頬を伝い出した。
「うん。最初はみんなそう。自分のことからのスタートだよ。じゃあね。また飲もう。」
店先で先輩と私は別れた。抉り返った傷は、ひりひりと、まだ痛みを伴う。そりゃあそうだ。一度はがしたかさぶたがまた元通りになるのには、時間がかかる。ゆっくりと、長い目で付き合っていこう、この傷と。自分自身と。表現するということの、意味と。
「多分あんたには表現したいことなんて、なんにもないんだと思う。」
8ヶ月目に閃いた答えが、これ。今のところ、これが一番納得する考え。
じゃあお前はどうなんだよ。
恋人がそう私に突っかかってくる。ような気がした。
「私?私はね、表現したいことだらけだよ。伝えたいことだらけだよ。例えばそうね、一言で言うならば、
私はまだ、あんたのことが、好きだ。」
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嘘が上手に付けるようになりたいです。
早くリアルテキスト塾に入りたいです。
●「辛いものは、辛い。」 たかなしみるく(深呼吸歌人[153])
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