新党「万年野党」宣言
原英史・橘川幸夫
政治・行政対談集
原英史・橘川幸夫
政治・行政対談集
近代政治システムを超える新しい政治家の登場を。
万年野党宣言
・選挙では、多くの政党が乱立しました。しかし、選択肢が増えたこと「政党中心の選挙」という仕組みそのものが、もはや崩壊してしまったことだと思います。
・これまでの国政選挙は、政党中心で行われてきました。比例代表では政党そのものを選びます。また、小選挙区についても、候補者個人のことはよく分からず、所属政党で選ぶ人が多かったのでないかと思います。
・しかし、最近の政治状況を考えれば、「政党中心の選挙」にむなしさを感じるのでないでしょうか。
・各政党とも、選挙では「○○をやります」と高らかに政策を掲げます。しかし、そんな約束は完全に反故にされる可能性もあることを、私たちは知ってしまいました。
・また、ここ数年の間に、所属政党が変わった議員がどれだけいることでしょう。「○○党所属の候補」だと思って投票しても、いつ別の政党に変わるか分からないことが明らかになりました。
・もはや、政党を選ぶことも、所属政党で候補を選ぶことも、あまり意味がない・・と考えるのは、もっともです。しかし、だからといって、選挙に行かなければ、組織票をもった昔ながらの候補者たちを利するだけです。昔ながらの政治が続くことになるでしょう。
・そこで、新しい選択肢として、「万年野党」を用意します。「万年野党」は、政党として、政策の約束は一切しません。約束は、つだけです。
・第一の約束は、「当選した議員は、その専門知識と技能を使って、それぞれの専門領域で、国政監視と対案提示に全力を尽くすこと」です。候補者は、約束を果たせるだけの資質・経験を備えた、「その道のプロ」だけに絞ります。
・第二の約束は、「政権には決して入らないこと」です。政権に入れば、どうしても妥協が必要になる場面が生じます。「万年野党」は、一切の妥協を排除し、徹底して「国政監視」と「理想的な対案提示」だけを行い続けます。このために、首相指名選挙では白票を投じます。
・「万年野党」の方針はこれだけです。個別政策については、所属議員の個人判断に委ね、党議拘束も一切しません。「万年野党」が議席を持つことで、どういう政策が実現されるのかは、何も約束できません。ただ、「その道のプロ」たちの手で、国の政治を一歩でも二歩でもよくすることだけは、約束できます。
▼連絡先 万年野党準備室 mannenyatoo@gmail.com
原英史 はら・えいじ
「政策工房」社長。1966年東京都生まれ。東京大学法学部卒、米シカゴ大学ロースクール修了。89年通商産業省当時入省。大臣官房企画官、中小企業庁制度審議室長などを経て、国家公務員制度改革推進本部事務局勤務。2009年7月退官。2011年12月大阪府特別顧問、大阪市特別顧問に就任。著書に『官僚のレトリック―霞が関改革はなぜ迷走するのか』『「規制」を変えれば電気も足りる』ほか。
橘川 幸夫 きつかわ・ゆきお
デジタルメディア研究所代表。1950年東京都生まれ。72年、音楽雑誌「ロッキングオン」創刊。78年、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊。80年代後半より草の根BBSを主催、ニフティの「FMEDIA」のシスオペを勤める。主な著書に『一応族の反乱』、『生意気の構造』ともに日本経済新聞社、『21世紀企画書』晶文社、『インターネットは儲からない』日経BP社、『暇つぶしの時代』平凡社『やきそばパンの逆襲』河出書房新社、『風のアジテーション』角川書店、『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。』『希望の仕事術』ともにバジリコ、iPhone、iPadアプリ『深呼吸する言葉の森』オンブック ほか共著、編著、講演多数。Twitter「metakit」
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第一章
万年野党とは
2012年12月10日
●民主党政権は剣の達人に経営を任せたようなもの
2012年12月10日
●民主党政権は剣の達人に経営を任せたようなもの
橘川:原くんと官僚制度について、日経BPオンラインのコラムで、いろいろ議論してきたけど、現在の議会制民主主義には何か根本的な欠点があると思い始めた。民主党の長妻昭さんは、日本電気から日経BPに入り、ITの分かるジャーナリストだった。議員になって、野党時代は、質問主意書を効果的に使ったり、消えた年金問題などで注目された。その人材が与党になり厚生労働大臣になってからは、省内を掌握出来ず、党の支援もなく、沈没してしまった。野党時代あれだけ輝いていた人が権力の内部に入った瞬間から色あせたというのは、何か根本的な無理があるのではないかと思う。政権奪取をした民主党政権の挫折の意味は、もっと、根本的に検証されるべきではないか。単に党内の派閥争いの次元だけではないものがあるような気がする。
原:これまでの議論でも出てきましたが、よくある答えは、民主党の中に、「政治主導とは何なのか」を取り違えている人が多くて、おかしな方向に行ってしまったということですね。つまり、大臣になるというのは行政組織の経営者になることだと、よくわかっていなかった。野党時代に、個人プレーで組織に切り込み、鋭い国会質問で役人をたじたじとさせ、大戦果をあげた成功体験が、逆にアダになってしまった面もあったかもしれません。
もうちょっと踏み込んで言うと、そういうことを含め、政党内での人材マネジメントができていなかったのだと思います。人間だれでも、得手不得手がある。たとえ話でいうと、戦国時代には、剣の達人として今も名を知られる人たちがごろごろいました。もし一対一の戦いで全国トーナメントをやっていたなら、彼らのうち誰かが全国制覇したと思いますが、現実世界では徳川家康が全国制覇した。当たり前ですが、個人としての戦闘能力と、組織の指揮統率能力、行政統治能力は別個の能力だからです。
ところが、民主党のやったことは、局地的な戦闘で功績のあった剣の達人を、いきなり城主に抜擢し経営を任せてしまったようなものです。これは、うまくいくわけがありません。民主党は、長いこと野党で、いわば城の外側でゲリラ活動している勢力みたいなものでしたから、経営能力の長けた人材を選抜したり育成したりする機会がなかったのでしょう。
橘川:情けないっちゃありゃしない。民主党が政権引き継いで3年経つのに、まだ自民党のせいだと攻撃している議員がいて呆れます。そう思っていても、自分が出来ないことの理由にしてはいけないことだよね。権力を握るということの怖さも意味も分かってないんでしょう。小沢さんが政権取る前に自民党との大連立を企てたのは、民主党の議員に一度、政権に入って権力運営の意味を教えるためだったという説がありますが、今となっては、それをやっとけば、少しはましな経営が出来たのではないかと思う。
しかし、だからと言って、政治経営のプロが政治をやればうまくいくのか、と言うと、そうは思えない。何か、根本的なところで、何か新しい発想が必要なのではないかと思う。
地域や組織の代表が議会で議論して日本の方向性を決めるという議会制民主主義は、日本の近代化のためには効果があったと思うが、これからの時代は、それだけではダメなような気がする。
●政権をとらない「万年野党」の意義
原:僕は「万年野党」という存在があったらいいんじゃないかと考えています。剣術やゲリラ戦の得意な人たちが、政権交代で与党になった途端、裃を着させられてかしこまり、それがうまくできなくて左遷されてしまったりするのは、見るに忍びない。それぐらいだったら、自分たちは絶対に政権に入らないという政党をひとつ作って、長妻さんみたいな人は、ずっとそこで、鋭い国会質問での追求と、改善案の提示だけをやっていたらいいんじゃないか。その方も、ご本人も得意な活動をし続けられるし、そういう強力な監視・改善機能は、国の政策遂行にとって極めて有益だと思うのです。
橘川:それは素晴らしい発想かも知れない。首相を目指さない政治家がいても良い。誰もが首相になれるわけではないので、自分の役割を認識した政治家が必要なんだな。
原:僕の考えでは、「万年野党」の綱領はつです。
、政権には入らない。
、政党として、政策は一切唱えない。
、政策活動はすべて個人プレー。各議員が個人の専門知識・能力を活かして、それぞれの専門分野で国政監視・改善を行なう。
議員は、それに堪える人。外交、防衛、経済、教育、社会保障などの各分野で、「その道のプロ」だけを厳選する。いわば剣の達人を集めて、国会質問の場で、大臣との一対一の勝負をしてもらう。この勝負で打ち勝ち、政府のやっていることの問題を暴き出し、世論の支持も受ければ、それこそ野党時代の長妻さんたちがやったように、国の政策を変えさせることだって可能です。
それから、政権には入らない。なぜかというと、政権に入って行政経営の責任者になると、どうしても妥協が必要になる。これは、数多くの課題を限られた時間・リソースの中でこなさなければならない経営者としては、仕方ないことです。一方、これに対し、絶対に妥協をせず、常に理想的な姿を提示し続ける・・・という役回りの人も必要だと思うのです。ただ、これは、多くの国会議員にとっては、二の足を踏む条件かもしれません。やはり、政治家は、もともと権力志向の強い人がなるわけですから。ただ、中には、そういう志向よりむしろ、ジャーナリスト気質みたいな人もいると思う。そういう変わった気質と能力のある議員が、数十人でも集まれば、国会の機能が格段に上がると思うのです。
あとは、政権をとりたい人たちは、党、党にわかれて、権力を握ることを目的とした論戦や、足の引っ張り合いをしてもらえばいい。国政の監視と改善は、「万年野党」で補っていく・・という構想です。
橘川:いいですね。監査役としての政治家ですね。今、小党を作っても、大連立時代だから、政権与党に組み入れられていく。そしたら結局何も出来なくなる。ならば、いっそ、野党に徹した方が意味がある。万年野党の綱領には「首班指名は白紙で投票する」ということを明記しましょう。
原:それは必要ですね。万年野党はすべて個人プレーなので、個々の政策での党議拘束とかは一切ありませんが、唯一の例外として、首相指名だけは必ず白票と決めておく。そうすれば、仮に将来的に、万年野党が国民の大きな支持を受け、過半数を制する事態になっても笑、政権与党にはならず、野党であり続けることができます。連立工作とかに巻き込まれることも避けられる笑。
●ジャーナリストは政治家になればいい
橘川:議員になれば、国政調査権があるし、官僚たちが資料を集めてきてくれる。出張費もただだ笑。在野のジャーナリストは、大手メディア会社にいれば会社の規制で本当のことは言えなくなるし、フリーなんて政府の内部資料まで到達出来ない。だったら、政治家になってジャーナリズムをやればよいわけだ。世襲でもタレントでもない、新しい種類の政治家が生まれますね。
原:僕の考える万年野党の役割は、本来的には、もっとメディアが果たすべきことなのかもしれませんね。しかし、おっしゃるように、今のマスコミには無理です。記者クラブで役所の提供した情報をみんな一斉に記事にするだけ。たまに、役所の課長さんから「これはおたくだけにリークするよ」といって情報をもらえたら、特ダネ記事を書けるので大喜び。またリークしてもらいたい一心で、役所に気に入られるような記事を書く。これじゃ、政府の監視なんてできやしません。
そういう大会社を飛び出してフリーで活動している磯山友幸さん、町田徹さん、また会社の枠を超越してしまった長谷川幸洋・東京新聞論説副委員長など、傑出した方もなかにはいますが、ごくごく一握り。日本のジャーナリズムがまともに機能するのを待っているより、国会の中に監視勢力を作った方が早いでしょう。
それに、これもご指摘のように、議員になれば、強力な情報アクセス権限を持てる。「国会議員の肩書を持ったジャーナリスト」っていうのは、最強のジャーナリストになりえます。
●「質問趣意書」を最大限に活用する
●「質問趣意書」を最大限に活用する
たとえば、あまり知られていないかもしれませんが、議員は、よくテレビなどで映像の出てくる国会質問以外に、質問主意書という手段をとることもできる。これは、文書で政府に提出する質問状で、政府はこれに必ず一定期間内に回答しないといけないことになっています。役所にいろんな問い合わせをしても、たらいまわしにされたり、門前払いされたりしているフリージャーナリストや一般市民からみたら、夢のような制度です。
ところが、大変もったいないことに、多くの議員はほとんどこれを使っていません。先日、僕も少し関わって、『国会議員☆☆☆データブック』という本が出ました。これは、解散時点での全衆議院議員の国会質問の回数・分数、質問主意書の件数などをデータ化したものですが、このデータによると、質問主意書の件数は、年選挙以降の年か月で、最高回。ところが、回を超えている議員はわずか人しかいない。大半の議員はゼロ回です。政権にいた民主党の議員は、党の方針として質問主意書を制限していたこともあり仕方ないのですが、自民党や他の野党の議員たちにも、ゼロの人が大勢いる。政府の情報をなんとか入手しようとしている人たちからみたら、豚に真珠というしかありません。
橘川:ギリシアは赤字で転覆しそうですが、第二次大戦後「ギリシアの奇跡」と言われるほど高度成長があった。今の破綻の原因は、公務員と福祉の社会負担が大きすぎるという面もあるのだろうが、それよりは、ギリシアがEUに加盟する時に成長を見込んで外資が大量の投資を行なってバブルになり、それを時の権力者が放蕩してしまったということのようです。今、ギリシアの若者たちが、そのお金が何処に流れたのかという調査を始めたと聞きました。日本も戦後あれだけ働いて稼いだのに、なんで、国家にこんなに負債があるのか、よく分からない。そうした過去をちゃんと調べて理由を聞いてみたいものだ。消費税増税は、その作業の次にあるべきだと思う。そういうことを調べてくれる政治家ジャーナリストがいれば、投票します。官僚装置にとっては、こんなに嫌な政治家はいないですね。
●共産党のようなシビアなチエック機能が必要
●共産党のようなシビアなチエック機能が必要
原:僕が役所で仕事していたときも、嫌な政治家っていましたよ。明日○○議員が所管の委員会で質問に立つと聞いただけで、「ああめんどくさいな」と思うような人。
たとえば、僕はむかし通産省から内閣安保室に出向したことがあって、周辺事態法を制定したときに担当したのですが、当時、もっとも厄介だったのが共産党の人たち。議員も党職員も、ともかくむちゃくちゃ勉強していて、「その説明は、昭和○○年の国会答弁と矛盾しているのでないか」とか「この説明と条文の規定が論理矛盾になっているのでないか」とか、重箱の隅をつつくようなところまで言ってくる。正直「もっともな指摘」ということもあって、そういうときは、国会答弁の中で少し補正したりしていました。
このときに、僕は、共産党って絶対になくしちゃいけない政党だと思いましたね。ここまでしっかりと政府のやっていることを監視し、細部までチェックしつくしている政党はない。自民党なんて、「こんど質問に立つことになったので、質問を作って」と僕たちに頼んでくる人までいたぐらいです。共産党がなくなったら、日本の防衛政策は糸の切れた凧ですよ。
それで、その頃から数年、僕は選挙の投票は共産党と決めていたのですが、ただそうはいっても、僕は共産主義者ではないし、共産党の主張には賛同できないことの方が多い。そこで、「共産党マイナス共産主義」の万年野党があったらいいんじゃないかと考えたわけです。
橘川:共産党は地方議会でも地道な調査活動をしていますね。新聞記者で地方に回されたりすると共産党が提供してくれる情報が一番役立つという話は聞きます。それと、共産党と公明党以外は、離合集散が激しくて、議員と党の性格に一貫性がなくなってしまった。役所の方も、味方になってくれる議員とつきあいたいと思っても、選挙のたびに違う議員と付き合うのは大変。文科省のように長期的な観点からの政策一貫性が必要な役所は、公明党議員と仲がよいですね。公明党議員は、落選の可能性が少ないので、長く付き合えるからということらしいです。
原:それはあるでしょうね。自民党や民主党は、「この人はいい政治家だな」という人ほど、すぐに次の選挙で消えてしまったりしますからね。
●共産党の限界は、権力をとると監視機能を喪失すること
●共産党の限界は、権力をとると監視機能を喪失すること
橘川:僕は東京の下町っぽい町新宿区四谷で生まれ育ったのですが、戦後の東京は古い地縁が崩れて、そこに登場したのが共産党と公明党でした。お互い仲が悪いのは、戦後ずっと勢力拡張争いをしていたライバルだからですね。共産党は共産主義、公明党は創価学会ですが、近所の人を見ていると、最大の魅力はコミュニティ作りだと思いました。どちらかに入れば、会合に出て友だちが出来るし、仕事にプラスになることもある。つまり、都市化の流れで、本来のコミュニティが崩壊した中で生まれた新しいコミュニティ創造運動だと思うのです。その最大のイベントが選挙だったわけです。僕は、どちらも、何かを狂信しなければいけないので、入りませんでしたが。僕の生まれた所は、創価学会の拠点である信濃町に近いのですが、どんどん地上げされていきました。信濃町は「信心が濃いい町」なので拠点に選ばれたという説が地元でありましたが笑
原:ああ、狂信はいやですね。
橘川:共産党や公明党にとって、選挙は組織勢力拡張のために重要なイベントなので、選挙になると燃えますね。2009年の民主党政権交代は、共産党が立候補者数を絞ったのが大きく効いたと思います。2012年の選挙は、共産党が昔のように全国の選挙区で立候補しましたから、反自民の勢力は苦しいでしょう。
原:それに、政党が乱立しすぎ。自民党ボロ勝ちは当然の結果でした。
橘川:共産主義のような外国の思想を信用しなくてよい共産党があればよいと思います。僕らは、共産党が昔は「ソビエトが開発する核兵器や原子力の平和利用は正しい」と言っていたことを覚えていますからね。でも、恐らく、若い共産党員は、そうした時代のことは何も知らないと思うので期待出来るかも知れません。共産党という名前を変えて、古い世代のガチガチの宗教的な共産主義者を排除すれば、すっきりとした新党になると思うのだが。それがダメなら、万年野党に入ってもらいましょう笑
原:僕は、共産党の限界は、権力をとった瞬間に、監視機能を喪失することだと思います。まさに、ソ連や中国で起きたことです。日本の共産党は、あれだけすばらしい監視能力を持っていますが、万万万が一、政権をとったら、自らの信ずる道にまい進し、チェック機能は吹っ飛んでしまう。
だから、万年野党なのです。万年野党の本質は、権力に立ち向かう精神。自民党が政権をとろうが、共産党が政権をとろうが、ともかく立ち向かうのです笑。
●万年野党はつねに権力に立ち向かう
●万年野党はつねに権力に立ち向かう
権力に立ち向かう精神は、古代文明以来、世の東西を問わず共通するものでしょう。中国共産党の創始者たちだって、もともとは、それが出発点だったはずです。ところが、政権奪取した途端に、万年与党になってしまった。そろそろ創業の精神に戻って、万年野党になってもいいんじゃないか笑。
だいたい議会というのも、もともと、権力に立ち向かう機会を与えるための発明だったわけで、世界の議会で、これまで万年野党のような政党がなかったことの方が、むしろおかしいのです。僕の目標は、日本で万年野党をつくったあと、世界に万年野党を作ることですね。
橘川:批判精神は批判しているから意味があるので、現実に対する責任を背負わせると、教条主義に走って自滅したり、頭が真っ白になって極度な官僚依存になってしまいそうです。都知事になった青島幸男さんが好例だと思います。今は、国民の多くは選挙には関心あるけど、投票する相手がいないというというのが実情でしょう。万年野党は、そういう層の受皿になりますね。政権を狙うわけではないから、党としてのマニフェストも要らない。立候補する政治家自身が、「自分をこのテーマを追求する」と言えば良い。主義主張はバラバラでよい笑。ただ、クォリティは守りたいですね。既存の政治家でも、党に入らないと政治が出来ないと思っていたり、質問時間が取れないから、いやいや所属している人も多いのでは。そういう人たちの受皿にもなりますね。
原:政党が政策を約束するなんて無意味だと、もうみんな気づいてしまったんじゃないですか。選挙が終わったらそれっきり。あそこまで潔く約束を守らない政党が出てきてしまいましたからね。
それに、選挙のとき、候補者個人はよくわからないが、「○○党の候補だから」という理由で投票することが、これまで多かったですよね。それも、意味をなさないことが判明してしまった。○○党の議員だと思っていたら、選挙のあとは、どんどん政党を変わり、またくっついたりしてわけがわからない。
政党の唱える政策にもとづいて投票する、という枠組みそのものが崩壊してきている。これは、政党政治の危機ともいえます。歴史上、同じような場面はありました。戦前の日本では、一時的に二大政党制になったあと、急速に政党への信認が失われ、大政翼賛体制になった。ドイツもそうでした。政党不信は、皇帝的な存在への期待や全体主義的政治体制につながりやすい。そこを救えるのは、万年野党だけだと思います。
●まずはインターネットでの選挙活動を可能にしよう
●まずはインターネットでの選挙活動を可能にしよう
橘川:万年野党でも、普通に選挙に立候補したら、法定選挙費用が必要ですね。これが日本は図抜けて高い。小選挙区で300万円、比例で600万円ですよね。これは、日本に議会制民主主義が出来た時に、無産政党の労働者たちが大量に立候補するのは避けるために、多額に税金を払っている金持ち以外は選挙に立候補しづらくしたという時代のなごりだから、もっと下げるべきなんだと思うんですがね。
原:カネのかからない選挙へということは、ずっと言われ続けていますが、こういうところに「結局、選挙はカネ」というのが残っている。
たしかに、これをなくしたら、単なる受け狙いとか宝くじ感覚で立候補する人たちが大量に出てきてわけがわからなくなる、ということはあります。しかし、それなら、カネ以外のペナルティを考えたらいいと思いますね。たとえば、一定の投票数が得られず、不真面目な立候補だったと判定された場合には、以後年間、地域でのゴミ拾いなどの社会奉仕活動を年間時間とか。
橘川:500時間というのが、なんともリアリティがありますね笑。万年野党が選挙に勝つためには、インターネットでの選挙活動が公認されることが一番重要ですね。まずは、この法案に積極的な既成政党を応援したい。インターネットの選挙活動がープンになれば、街宣車も事務所もなしで、パソコンの前だけで選挙活動が出来るから、選挙活動費がいらない。
原:僕は以前から、インターネット選挙活動の解禁を主張してきましたが、その最大の眼目は、「政策本位の選挙」の実現でした。今の選挙は、街宣車で名前を連呼し、街頭演説でワンフレーズを叫ぶだけ。政策論で戦う選挙というならば、そういうことではなく、政策の内容をきっちり説明し、反論や疑問にも応えてもらわないと判断しようがない。そのためには、インターネットが一番よいツールで、それを禁じて街宣車とかだけ許しているのはおかしいでしょう、ということだった。
ところが、思わぬことに、ネット選挙解禁が実現する前に、「政策本位の選挙」という枠組みの方が崩壊してしまった。今後、ネット選挙が解禁されると、昔ながらに政策を唱える既成政党が政策論争を戦わせると思いますが笑、万年野党は、その先に行ってしまっているので、ここでは蚊帳の外。万年野党の利害という意味では、ネット選挙解禁によって、埋没の危険性があるのでないかとひそかにおそれているのです笑。とはいえ、これは解禁するしかありません。もっとも政治への関心が高まる選挙期間中に、政治家がネットで発信できないなんて、こんな馬鹿げた規制はありませんから。
●選挙における無駄と無駄なルール
橘川:原くんは、今度「選挙ボランティアの教科書」を作りましたよね。政治に関わるというのは、単に投票するだけではなくて、選挙ポランティアにも積極的に参加することが必要ということですね。特に若い人たちは。
原:そうです。選挙への参加というと、一般には、立候補か投票かを思い浮かべます。立候補はあまりにハードルが高いし、投票はあまりに参加度合いが薄い。そこで、第三の道として、自分が支持できる候補を探し出して、選挙ボランティアとしてサポートする、という参加の仕方をもっとやったらいいんじゃないかということです。
ところが、そこで問題は、さっきのネット選挙もそうですが、公職選挙法で、こまごまとしたいろんなルールがあること。知らずにいると、うっかり法律違反をしかねません。たとえば、選挙事務所で、お茶は出してもいいけど、缶コーヒーを出したら違反って知ってます 「お茶かお茶菓子程度しかダメ」というルールになっているのです。
バカバカしい話も多いのですが、そうはいっても、法律は法律。知らずに問題をおこしてしまったりするとまずい。そこで、選挙ボランティアとして参加する上で、最低限知っておくべきルールやお作法をまとめて、冊子にしたのがこの本です。
橘川:選挙になると選挙のプロという人たちが活躍しますが、選挙のための情報が公開されていないということが問題ですね。こういう情報は義務教育で教えてもよいくらいだ。選挙シーズンになると、街角に選挙ポスターの掲示板が出来て、あれも設置や撤収費用が大変だと思うのですが、立候補者がポスターはるのもえらい大変な作業ですよね。あんなの無駄だと思うのですが、仕方がないとしても、専用業者が立候補者のポスターまとめて張りにいけば効率的なのでは。ポスターハリスターって、芝居のポスターを飲み屋を回って貼っていくサービスの会社がありますよ。
原:無駄なことは多いですよ。たとえば、ポスターやビラに一枚一枚証紙を貼る。これは、ビラの枚数などに上限があって、これを担保するために義務付けられているのですが、膨大な作業。こんなことに時間をつかうぐらいなら、候補やボランティアたちが地域を回って、主張を説明して回ったり、意見・要望を聞いて回ったりする方が、よっぽど意味があるでしょう。ところが、これはまた、公職選挙法に「戸別訪問禁止」という規制があって、一軒ずつ回ったりはできないのです。
まあ、馬鹿げたルールがたくさんあって、いろいろと変えていかないといけない現状ですが、それでも、選挙ボランティアとして参加してみることは価値が高いと思いますよ。
●インターネットが万年野党の候補者を培う
橘川:21世紀の政党「万年野党」を立ちあげたいですね。具体的なロードマップは出来てますか?
原:はい。日本での結党から、世界か国に万年野党を作り、三年後に世界万年野党大会を盛大に開催するところまで、工程を考え抜いてあります笑。まあ、こんなのは、やってみないと分からないでしょうね。
橘川:原くんの構想の本質部分は分かりました。まだ世界に例を見ない、議会制民主主義そのものをイノベートする革命になるかも知れない。ついでなので、ちょっと長くなると思いますが、僕の構想も聞いてください。僕は1970年代から参加型メディアというものをテーマにして考えてきて、実践してきました。それは封建主義から議会制民主主義へと進化してきた流れの、次に来る社会のイメージをまさぐってきました。1995年に世界的なインターネットのビッグバンがあって、インターネット以前と以後の社会は、あきらかに違うものになるだろうと思いました。
インターネット以前は、社会は現実の地理的環境の上で成立していましたから、地縁・血縁・学校縁・仕事縁みたいな現実的な関係性が重要だったと思います。社会全体を経営・運営する政治家は、こうした現実的な利害関係の代表として選ばれたと思います。
もちろん、この関係性は、今だに重要なのですが、インターネット普及以後の、本格的な情報化社会においては、別の次元のコミュニティが成立してくるのだと思います。ネット環境でのコミュニティの成立過程を見てみると、最初はもちろん軍事なのですが、やがて大学の研究成果のデータベースが始まります。それぞれの大学がデータベース構築する。そして、アメリカの西海岸と東海岸の大学が回線で結ばれ、データベースの相互利用がはじまります。それを研究者たちが利用しているうちに、研究者同士がオンライン上で出会ってしまった。つまり、機械工学を研究している学者が、同じテーマのデータベースにアクセスしている者同士ということで、交流がはじまったのです。そこから、会議室ブレッティング・ボードというシステムが開発され、コンピュサーブのようにネット上のコミュニティを提供するサービスが始まりました。
これが日本に輸入されて始まったのが、アスキーネットであり、ニフティサーブだったわけです。つまり、ネット上のコミュニティは「テーマを共有する者同士の情報交換の場」なわけです。ニフティの「フォーラム」というのは、そうした流れで発展しました。映画フォーラムは、映画を好きな人たちが集まり、マーケティング・フォーラムはマーケティングに関心のある人が集まりました。ここに集まる人たちは、地縁・血縁ではなく共通のテーマに集まる不特定のテーマ縁だったわけです。知らない人たちですから純粋にテーマを追求出来る面もありましたから、争いもありました。それらを含めて活性化していったわけです。僕もメディアマン・フォーラムのシスオペをしていました。メディアに関心のある人を集めたのです。
それが1995年のインターネット爆発により、ニフティは衰退していきます。特別なテーマを持たない人たちが大量にネットワーク参加してきました。ニフティのフォーラムの一部は、2ちゃんねるに流れ、他方はMixiに流れました。Mixiは、友だちの友だちを集めてくるSNSですから、フォーラム的な活動は本質ではありません。そして、現在は、SNSの究極の姿としてのFacebookの時代になっています。
僕は、この時代にフォーラムを復活させようと思っています。名前はライフワーク・グループにしました。ニフティの時代と違って、現在は誰もが自由に自分の会議室を作れる。シスオペが提出するテーマごとのコミュニティを作っていきたい。誰もが自分自身の関心領域とテーマをライフワークとして持つ時代だと思うからです。
そして、ライフワーク・グループの活動に対して、さまざまな支援活動を行い、活性化していきたい。例えば、交通ライフワーク・グループがあって、交通に関心のある人たちを集めて情報交換や議論を進める。その成果は、出版したり、シンポジウムを行なって放送したり、具体的な交通政策としてまとめるようにしたい。その中から、日本社会の構造にまで問題を発展出来たら、そこから、万年野党の議員立候補者が登場するというのが、理想です。
●「社会的ソフトウェア」の萌芽を感じる
●「社会的ソフトウェア」の萌芽を感じる
原:そういうテーマごとのコミュニティで議論を通じて、リーダーが見出されていくというのはいいですね。
民主党の議員には、労働組合出身の人がたくさんいます。「組合のいいなり」とか批判を受けることもありますが、それは別として、個人の資質という意味では、人間的魅力があり、能力も高い人が少なくない。あれは、組合支部の末端での活動以来、ずっともまれてきているからだと思います。末端での活動で「こいつはできるな」となると支部幹部に抜擢され、さらに上のクラスでもまれ、最終的にごくごく一握りの選ばれた人が「彼を市議会に送り込もう」とか「国会に送り込もう」というところまでたどり着く。厳しい選抜・育成プロセスを経ているのです。
ほかの領域だと、そういうプロセスがなかなかない。これに代わる孵化装置になるんじゃないでしょうか。
橘川:組合も貧しい時代は真剣に未来社会を考えていたと思いますが、豊かになって組合費も潤沢になってきた頃から堕落したと思いますね。組合を一つのフォーラムとして捉えると、面白いですね。
僕は、情報化社会という言葉を作った故・林雄二郎さんから多くを学びました。林さんは、僕の師であり親友でもありました。林さんが最初に情報化社会をイメージした時に、楽観的な希望と悲観的な絶望の両方を感じました。情報がオープンになって、誰もが自由に情報を扱えるようになるというのが楽観的希望。しかし、そうした環境が出来たら、人は勉強する意欲を失うのではないか、というのが悲観的な絶望。そして、お亡くなりなる最後の勉強会に僕も参加させていただきました。そのテーマは「社会的ソフトウェアとは何か」というテーマでした。システム的な情報化社会の姿は見えたが、果たして、その社会で生きるための人間の新しい倫理や方法は何なのか、という大きなテーマでした。林さんは、ついにそのテーマへの解が見えないまま、お亡くなりになり、僕らはそのテーマを引き継いでいます。その回答のかすかな気配が原くんの万年野党論に見えて気がします。
つまり、情報化社会以前において、勉強とか情報収集は、ひたすら個人が自分自身を強くし、自らの商品価値を高め、権力を握るものとしてあったと思います。しかし、情報化社会以後においては、勉強の目的は、自分自身のためだけではなく、社会全体を強くし、商品価値を高めるものでなくてはならない。そうした社会全体を意識する人間を育てていくことが、林さんが言いたかった「社会的ソフトウェア」ということなのではないかと思いました。
原:インターネットは、個人がいろいろな形で社会と接する場を作りました。この環境の中で、若い人たちと話していても、社会全体を意識する人は増えているように思います。そういう人たちが万年野党の基盤になると思いますよ。
橘川:20世紀は組織と組織の戦いの時代だったと思います。企業でも国家でもシェア獲得争いだった。個人が世界にコミットするためには、何かしらの組織に所属する必要があった。21世紀の最初の戦いは、組織と個人との戦いだと思っています。インターネットは、個人が個人のままで生きるための世界的なツールなんだと思います。万年野党は「個人政党のネットワーク政党」となるのではないか。
とはいえ、現実は、一筋縄ではいかないでしょう。やれるところから、確実にやりましょう。まずは、中心になる仲間集めですね。主義主張は問わないから、問題意識が高くて突破力のある人たちが集まると良いですね。
原:政治を近代の呪縛から解き放つプロジェクトとも言えるでしょうね。なんとか実現したいものです。
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