「ロードランナー・NUTS & MILK」の思い出

注意:2本のタイトルをあげていますが、NUTS & MILKの方の制作過程はわかりませんので、ロードランナーをメインに書かせていただきます。


1983年の9月頃だったでしょうか…。
会議室に、当時の東京の社員が全員集められました。

そのテーブルには、ファミコンが1台と、数本のゲームタイトルが置かれていたのです。

私自身は、ファミリーベーシックの本を書いていたので、その存在を知っていましたが、当時の営業スタッフや女子社員の中には、知らない者もいた様に思います。

そこで当時の副社長であった工藤浩さんから

「うちもファミコンのゲームを出してみたい」

という発言があったのです。
この頃のハドソンは、日本のPCメーカーが販売しているパソコン用に、プログラムカセットを制作販売していたのです。
しかし、ファミコンはパソコンではなく玩具という事で、そういう意味では新たなジャンルに挑戦する事になります。

この1983年当時、パソコン用のゲームは、ヒットしたとしても1タイトルで1万本がせいぜいでした。
売れないタイトルの場合は、3000〜5000本というのも珍しくありませんでした。

しかし、ファミコンに関しては、初期のタイトルを初めとしたゲームのほぼ全てが、30万本という生産数でした。
算数などの教育物に関しても、その数字が出ていましたので、どんなタイトルでも売れているという印象でした。
それに売れない物を作ったとしたら、在庫処理の問題が出てしまいますからね。そこら辺を考慮しても、それなりの数が販売されていると見て間違いない状況でした。
そして、経営者としては、ハドソンの売り上げをアップさせ、なおかつ確保するのには絶好のチャンスだと判断しなければおかしいですからね。

ただ懸念するのは、任天堂がサードパーティの参加を許諾しているのかどうか?という事。
そして、パソコンの場合でプログラムにBugが発見された場合、フロッピーディスクやカセットテープを回収して上書きするか、パソコン専門誌などにプログラムの訂正箇所とそのリストを掲載してもらって、ユーザーに修正してもらうという事が出来たのですが、ファミコンのROMカセットの場合にはそういう事は出来ません。
最悪の場合には回収して破棄処分という、大損害を及ぼす可能性があるのです。

私が思うに、この時点で工藤兄弟や役員の中では、ファミコンに参入する事が決まっていたと思います。しかし、その事をあえて社員に問う形で伝えて、私たちの反応を知りたかったのではないかと思われます。