「民主主義社会の言論の自由は、体制批判である。」この原則を否定しようとする者に対し、異論を唱える孫崎さんを、全面的に支持します。 世の中に正義などなく、日本国民が選択する道が、体制の選択する道と、必ずしも一致することはない。一致しない場合は議論が不可欠であり、議論が排除されては、民主主義国家といえない。こんなこともわからず、体制に「異を唱えるもの」を排除しようとする、「金太郎あめ方式」は、戦前復帰「翼賛政治の始まり」というより、現段階では、「憲法改正の地ならし」なのでしょう。 メディアの生命は、「体制のチェック機能」であり、チェックを否定するということは、「体制に逆らった報道をしてはならない」ということにほかなりません。 問題は、政治が今までと同じような方向を目指していれば、大きなメディアチェックがないが、大きく国の方向を変えようとすれば、大きなメディアチェックがされるのは、民主主義社会では避けられない。安倍首相が、大きく方向を変えれば、当然、賛成の声が高まると同時に反対の声が高まるのは当たり前のことである。反対の声を、イデオロギーの対立とか、権力,金力など力で排除しようとするのは、正常な社会からかけ離れているといえます。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
アカウントをお持ちの方はログインしてください。
まだアカウントをお持ちでない方でも無料で作成できます。
(ID:18367902)
「民主主義社会の言論の自由は、体制批判である。」この原則を否定しようとする者に対し、異論を唱える孫崎さんを、全面的に支持します。
世の中に正義などなく、日本国民が選択する道が、体制の選択する道と、必ずしも一致することはない。一致しない場合は議論が不可欠であり、議論が排除されては、民主主義国家といえない。こんなこともわからず、体制に「異を唱えるもの」を排除しようとする、「金太郎あめ方式」は、戦前復帰「翼賛政治の始まり」というより、現段階では、「憲法改正の地ならし」なのでしょう。
メディアの生命は、「体制のチェック機能」であり、チェックを否定するということは、「体制に逆らった報道をしてはならない」ということにほかなりません。
問題は、政治が今までと同じような方向を目指していれば、大きなメディアチェックがないが、大きく国の方向を変えようとすれば、大きなメディアチェックがされるのは、民主主義社会では避けられない。安倍首相が、大きく方向を変えれば、当然、賛成の声が高まると同時に反対の声が高まるのは当たり前のことである。反対の声を、イデオロギーの対立とか、権力,金力など力で排除しようとするのは、正常な社会からかけ離れているといえます。