名を正す のコメント

「違憲」であることは、全くその通りだと思います。最近、一票の格差についても、「違憲」や「違憲状態」という判決が各裁判所の判決でも下されています。これも、全くその通りだと思います。
ただし、「違憲」であると言われても、そのことによって事態が改善されていないのも事実です。国民も「違憲」ということに、特別に驚くこともなく、「違憲」ということを民主主義の根幹を揺るがす危機ととらえ、厳しく批判し、国民全体で激しい抵抗運動も起きないという現状があります。なぜでしょうか。
言葉に力がないことも、その原因の一つではないかと思います。「違憲」。もちろん意味は分かるが、何か今一つ心に響かないのではないか。その理由は、「違憲」という言葉が漢語であるからです。漢語とはつまり、中国語という外国語です。私たちは漢語があまりにも普段の生活の中に入り込みすぎて、外国語であるということを意識していませんが、かすかな違和感があり、直接、そのことの重大さが直感できないのです。意味は分かるが、実感がない、肌で感じられない、ということです。たとえば、「違憲」を英語で表現すれば、violation of the constitution,あるいはunconstitutionalityなどになりますが、これを使って、しかも日本人得意の省略英語で表現すれば「バイオコンスティ」さらに「バイコン」、「アンコンステ」などになるでしょうか。もちろん、漢語は英語よりも長く日本人の生活に根付いており、しかも漢語は表意文字ですから、英語よりも意味はずっとわかりやすいとは思います。しかし、やはりそれは外国語です。どうしても意識の上でフィルターが無意識にかかってしまうのです。ピントきにくいのです。しかも、厄介なことに、日本語でキーワードとなる部分は、どうしても漢語になってしまいます。「憲法」もそうです。「憲法」と言われて、何か身近でない、難しく感じてしまうのはこういう背景があるからです。肝心な言葉が、意味は分かるが直感できない、身体が反応しにくいのです。ゆえに、いつも一呼吸遅れて、具体的な行動に結びつかないということ傾向があります。
ではどうするか。たとえば、今回のことで言えば、「違憲」とたった二文字で省略せずに、「憲法違反」と書けば、もう少し重みが増すでしょう。これからは、違憲ではなく、「憲法違反」と言い、そう書くべきだと思います。もっと露骨に「法律違反」といってもよいでしょう。「違憲」という言葉によって、ことの重大さを、あいまいな抽象のかなたに葬らないようにしたいと思います。
以上は、漢語そのものが悪いといっているのではありません。漢語に限らず、外国語を日本に持ち込むと、どうしてもそれが軽くなってしまうということです。念のため。

No.5 114ヶ月前

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