24日朝日新聞一面は、「尖閣に安保適用明記へ きょう首脳会談、日米共同文書に」と大々的に報じている。
この問題について気づきの点を記載する。
1:尖閣諸島に関しては、1971年から米国は①尖閣の管轄権は日本にあり、したがって安保条約の対象になる、②領有権については日中のいずれの立場も取らないー中立―と述べてきている。
2:問題は「尖閣に安保適用」と尖閣で日中で軍事衝突になった時に米軍がでることとど同じではない。
① 法律的側面
日米安保条約第5条は「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」としている。
第5条で述べているのは「自国の憲法上の規定に従つて行動する」と言っている。では米国憲法の規定とは何を意味
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コメント
日本には報道の自由がない。
うまく言えませんが、外交というのはどこまでいっても駆け引きで、それをそういうものだとして受け入れるしかありません。国家間の外交では無理でも、違う形の信頼関係ってないのだろうかとは思います。こういうのは言葉では構築されないので、結局時間をかけて壁を乗り越えていくしか手はないと思います。それができるかどうかわかりませんね。とても難しいことだと思います。
少し前のクローズアップ現代で、富裕層が自治体を作る話をしていて、人間ってとことんまで個人主義を貫けば、ああいう世界になるのだろうと思います。そこに住む人たちは富裕層だけの世界をまるで天国のように言っていたけれど、本当にそうなんだろうかと思いました。確かに二極化する世界で、どちらかを選べといわれれば、切り捨てられる方を選ぶ人間はいないでしょう。でも搾取する側の世界に住みたいかといえば、僕は全くそんな気にはなりませんでした。なによりそこに住む人間と友達になろうと思えないし、ベースに流れるものを共有できると思えませんでした。何かが欠落している世界、そんな気がしました。そういう世界をアメリカは作っているし、日本もそういう風になろうとしている。世界全体が共同体意識を切り捨ててそんな風になろうとしている。まず人間がそこにアダプトできるように変わっていることに何より衝撃を受けました。この世界は我々が選んだのです。
とにかく日本はあんな風になってはいけない。それだけは強く思います。またバラバラになりたいとは思わない。でもそれを超えるものが僕らにあるのかもよくわからない、そんな心境です。でも粘り強くいくつもりです。
前原が起こした尖閣騒動は野田の「国有化宣言」まで一挙に進み安倍による中国包囲網外交が展開されたが、これら一連の試みは完全に失敗に終わった。その間、世界の人々は尖閣をめぐる歴史を知った。そして「尖閣が日本固有の領土」という命題がDOUBTであることを知った。日本では施政権とかいう分からない言葉を使うから日本人は主権があると勘違いするけど、彼らが使っている言葉はいろいろあるけど一番多いのは「control」。でも、尖閣問題はずっと棚上げで来たのだから、沖縄が返還されて以降、controlの実績もない。日本は前原が起こした尖閣騒動は一体何だったのかを検証することから始めなければならない。本当に情けないのはこのような子供じみた挑発で米国が加担するとは到底考えられないことだ。
(ID:18367902)
管理権と固有の領土は違うということでしょうか。シリア、クナシリでさえ、米軍は軍事参加しないというより、できなかった。現在、米国、米国民の国益は、圧倒的に日本より中国のほうが大きい。中国が管理権を奪った場合、管理権は中国にわたり、安保の対象から、その時点で外れると解釈して差し支えないというのでしょうか。
管理権が日本にある場合は安保の対象になるが、管理権が中国に移った途端、安保の対象外、国際政治、特に米国がからむと、中国と天秤に掛けた極めて冷徹な外交といえるのではないか。大変勉強になりました。