選挙で選ばれた人間が当選後悪事を働いたと言う場合、もしその人間が彼の一般的な傾向としてそういう性格であったと仮定すれば、確かに選挙民の責任である。しかし、一般的にその様な傾向が存在するか否かをその選挙の直前に知ることが一般の選挙民に可能であるかどうかと考えると、一般論としては否と言わざるを得ない。多くの選挙民は、猪瀬氏について選挙運動が始まるまで、ほとんど知らなかったし、投票までに普通の努力でどこまで彼について知り得たかを考えれば、その可能性は非常に少ない。だとすると、選挙民の責任は限定されざるを得ない。すなwち、選挙と言う手法の根本的な限度こそがとがめられるべきである。すなわち、民主主義なる政治手法の限界である。これこそ、今の日本が、否、世界中の民主主義国家が直面している、未熟な政治の根本原因である。しからば、民主主義に替る優れた手法があるか。現代中国の観察者の一部はそれを中国人民共和国(PRC)の高能率な近代化にその答えを見つけたというが、それはPRCが今日抱えている諸問題(覇権志向、格差、不合理なインフラ投資、大気汚染、異民族問題など)を考えれば、容易に同意はできない。要するに、問題のない政治システムなどは決して存在しないということが真実である。だとすれば、人間、人間社会とはそういう存在なのだと悟るしかない。
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孫崎享チャンネル
(ID:32175174)
選挙で選ばれた人間が当選後悪事を働いたと言う場合、もしその人間が彼の一般的な傾向としてそういう性格であったと仮定すれば、確かに選挙民の責任である。しかし、一般的にその様な傾向が存在するか否かをその選挙の直前に知ることが一般の選挙民に可能であるかどうかと考えると、一般論としては否と言わざるを得ない。多くの選挙民は、猪瀬氏について選挙運動が始まるまで、ほとんど知らなかったし、投票までに普通の努力でどこまで彼について知り得たかを考えれば、その可能性は非常に少ない。だとすると、選挙民の責任は限定されざるを得ない。すなwち、選挙と言う手法の根本的な限度こそがとがめられるべきである。すなわち、民主主義なる政治手法の限界である。これこそ、今の日本が、否、世界中の民主主義国家が直面している、未熟な政治の根本原因である。しからば、民主主義に替る優れた手法があるか。現代中国の観察者の一部はそれを中国人民共和国(PRC)の高能率な近代化にその答えを見つけたというが、それはPRCが今日抱えている諸問題(覇権志向、格差、不合理なインフラ投資、大気汚染、異民族問題など)を考えれば、容易に同意はできない。要するに、問題のない政治システムなどは決して存在しないということが真実である。だとすれば、人間、人間社会とはそういう存在なのだと悟るしかない。