僕はこの主人公のような人は絶対に必要な人だと思うし、小説のテーマ自身は非常に深いものがあると思う。世界の人間がすべて権力に飼いならされてしまったら、それこそエリオットのいうところの「荒れ地」、廃墟のような世界に成り果ててしまうだろうと思います。その荒れ地を救うために旅立つ聖杯の騎士、待ち受ける試練。テーマとしてはアーサー王伝説にまでさかのぼる格調高いテーマだと思います。ただ同時に、それは巨大な風車に立ち向かうドンキホーテであり、その主観的な真実に根ざした行動は、客観的な世界から見たとき愚か以外の何ものでもない訳です。ちまたの評価とは異なり、僕の敬愛するドストエフスキーもミハエルエンデもドンキホーテを高く評価しており、エンデなどは作家の意識がドンキホーテの価値に負けてしまっているとまで言っています。 宮崎監督は確か、もう一度日本がアメリカに立ち向かう時が来ているというような発言をされていますよね。僕は「風たちぬ」はまだ見ていないのですが、映画の隠しテーマがその辺にあるのだろうと感じていました。もうファンタジーでは通用しない、ドンキホーテもそのままでは通用しないはずです。ただこの小説のテーマは確かにその核になるべき何かがあると思います。ただどうやって具現するのか。それは運命の女神によるところが大きいでしょうが、この主人公自身ドンキホーテより現実的に振る舞う必要はあるはずです。それは決して妥協ではないと僕は思います。
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孫崎享チャンネル
(ID:2197362)
僕はこの主人公のような人は絶対に必要な人だと思うし、小説のテーマ自身は非常に深いものがあると思う。世界の人間がすべて権力に飼いならされてしまったら、それこそエリオットのいうところの「荒れ地」、廃墟のような世界に成り果ててしまうだろうと思います。その荒れ地を救うために旅立つ聖杯の騎士、待ち受ける試練。テーマとしてはアーサー王伝説にまでさかのぼる格調高いテーマだと思います。ただ同時に、それは巨大な風車に立ち向かうドンキホーテであり、その主観的な真実に根ざした行動は、客観的な世界から見たとき愚か以外の何ものでもない訳です。ちまたの評価とは異なり、僕の敬愛するドストエフスキーもミハエルエンデもドンキホーテを高く評価しており、エンデなどは作家の意識がドンキホーテの価値に負けてしまっているとまで言っています。
宮崎監督は確か、もう一度日本がアメリカに立ち向かう時が来ているというような発言をされていますよね。僕は「風たちぬ」はまだ見ていないのですが、映画の隠しテーマがその辺にあるのだろうと感じていました。もうファンタジーでは通用しない、ドンキホーテもそのままでは通用しないはずです。ただこの小説のテーマは確かにその核になるべき何かがあると思います。ただどうやって具現するのか。それは運命の女神によるところが大きいでしょうが、この主人公自身ドンキホーテより現実的に振る舞う必要はあるはずです。それは決して妥協ではないと僕は思います。