「自分が歩き続ければ、癌にかかっているクイニ―が治るか、生きながらえると思」というのは、普通 (ordinary) な人間である私には単なる思い込みであり、だれもその関連性を証明できるような事柄ではなく、個人的な感情というにすぎず、したがって社会学的に意味のあるものとは思えない。これがもっと普遍性のある感情、たとえば、原発、沖縄に米軍基地が存在すること、憲法改正などに対する賛否であればそれらのintegrationは国民の政治的な意志として意味がある。上記のような個人的な思い込みに関する本に多くの人が感動しているといのは、孫崎氏のコメントからは信じられないし、Michel Joyce社会的なメッセージとして意味があるとは思えない。 孫崎氏は「クイニ―はスコットランドの国境の修道院に付属している収容所にいる」と書いているが、実際に読んだ人の度ぐ語感では「Queenie Hennessy は末期癌で今 Berwick-upon-Tweed (英国北東部の街)のホスピスにいる」となっている。どちらが本当?「収容所」なんてありえない。戦争の捕虜じゃあるまいし。英国の美しい田園風景、旅先で出会う人々との交流が書かれているだろうとは思うが、それ以上のものではない。孫崎氏はそんなにsentimentalな人なの?
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孫崎享チャンネル
(ID:32175174)
「自分が歩き続ければ、癌にかかっているクイニ―が治るか、生きながらえると思」というのは、普通 (ordinary) な人間である私には単なる思い込みであり、だれもその関連性を証明できるような事柄ではなく、個人的な感情というにすぎず、したがって社会学的に意味のあるものとは思えない。これがもっと普遍性のある感情、たとえば、原発、沖縄に米軍基地が存在すること、憲法改正などに対する賛否であればそれらのintegrationは国民の政治的な意志として意味がある。上記のような個人的な思い込みに関する本に多くの人が感動しているといのは、孫崎氏のコメントからは信じられないし、Michel Joyce社会的なメッセージとして意味があるとは思えない。
孫崎氏は「クイニ―はスコットランドの国境の修道院に付属している収容所にいる」と書いているが、実際に読んだ人の度ぐ語感では「Queenie Hennessy は末期癌で今 Berwick-upon-Tweed (英国北東部の街)のホスピスにいる」となっている。どちらが本当?「収容所」なんてありえない。戦争の捕虜じゃあるまいし。英国の美しい田園風景、旅先で出会う人々との交流が書かれているだろうとは思うが、それ以上のものではない。孫崎氏はそんなにsentimentalな人なの?