PHP『日本の「情報と外交」』の第Ⅲ章 「情報のマフィアに入れ」からの抜粋。

第二次世界大戦終結後、日本人が不意をつかれた世界情勢は多々ある。

その中でも、一九七三年一〇月のオイル・ショックは国民を大混乱に導いた。政府は緊急の対策要綱を発出した。室内温度の適正化(二十℃)、広告用照明の自粛、高速道路における高速運転の自粛や、一般企業への十%の節減を呼びかけ等を盛り込んだ。不安に駆り立てられた国民は、トイレットペーパーや洗剤など、原油と直接関係のない物資の買占めを行った。この混乱の一因は、オイル・ショックがある日突然おこり、日本社会でほとんど誰もが予測していなかった点にある。

 しかし、この時期、私の情報に対する感覚が鋭敏なら、オイル・ショックを事前に警告出来た。 

一九七三年春、日米政策企画協議で米国はサウジアラビア問題を協議しようと言ってきた。私には、何故サウジアラビ