『日本の「情報と外交』 の第2章からの抜粋
KGB、イランの仕掛け
一九六〇年代末、そしてモスクワに二度目に勤務する一九七〇年代末はいずれも冷戦の最中である。
多分一九七〇年であったと思う。大使館に盗聴器が仕掛けられていないか、日本から専門家が派遣されてきた。大使館は専門家の身の危険を心配して、ホテルではなく公使公邸に宿泊させた。公使公邸には十年以上勤務してきたロシア人女中がいた。勤勉に働き、歴代の公使から高い信頼を得ていた。この彼女が盗聴器を発見した専門家のお茶に毒を盛り、突然公使公邸から去った。
一九六八年のチェコ事件後、ソ連軍が、ソ連と一線を画し中国と接近していたルーマニアに進行するのでないかと言われた。時の防衛駐在官、飯山茂氏(後、東部方面総監)は陸路モスクワからブカレストまで車で走破する計画をたてた。「現場に行け、現場に聞け」の実践である。道中が長い。モスクワ市内だけは夫
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