大局的に考えるなら、日本の政治に必要なことは、政権交代である。自公政権が長年続いていることが、政治に緊張感を喪失させ、腐敗を生んだのは間違いないと考えている。 従って、次の衆院選で政権交代の可能性が垣間見えるならば、よい兆候だと考える。 その上で、一有権者としては、では、何故、石破新総裁になり、圧倒的な自民党支持にむかわなかったのか、を考えてみる。 石破首相になり、政治経済社会政策において劇的な変更とか、目玉政策が繰り出されると考えている有権者は、おそらくあまりいないだろう。実際、少子高齢化というトレンドにおいて、既存の仕組みを前提に政策の組み替えや優先順位付けをするしかなく、国論を二分するような課題もない。消費税減税する、しないは課題だろうが、政権選択を決定付ける大争点というカンジには見えない。 となると、やはり裏金問題は尾を引いているということではないか?分かりやすい自民党裏金候補者公認問題は、有権者による厳しい目線を集めるだろう。統一協会との癒着も、自民党のいかがわしさを、有権者に対して強く印象付けた。 全体として、自公政権による長年の政治的堕落に、有権者はさすがにウンザリしているムキが多いということではないか? それと、石破氏の政策で耳目を集めたのは、やはり“アジア版NATO“ではないか?石破氏は安全保障政策では、一家言持つ政治家と目されていた。外国政策は内政と比べて幅を出しやすい分野ではないか、とも思われる。 そんな中で、繰り出された“アジア版NATO“論。 だが、私は、これにドン引きした有権者は意外に多かったのではないか、と考えている。謂わば、小泉進次郎の解雇規制緩和論みたいなカンジで、有権者にはあさっての方向のズレズレ政策という印象を与えなかったか? というのも、“アジア版NATO“って?それ、日本、戦争に巻き込まれる可能性高くなるんじゃないの?という印象。 実際、所謂NATO条約なら、抑止力の側面は集団的応戦義務により担保されているわけだろうから。その意味では、アメリカ帝国の戦争に参戦義務がない日米安保条約のほうが、まだマシである。 ここで私見だが、日米安保条約が何故問題か、というなら、それは、核の傘もなく、通常戦力による日本防衛もおそらくないであろう日米同盟なのに、日本は米軍基地というアメリカ帝国の前進基地設置負担を押し付けられていることに尽きると考えている。 要するに、日米安保条約は日本にとっては戦争に巻き込まれ、ミサイルの攻撃目標にされるだけの丸損システムである。 仮に、過去の日米相互防衛条約なるものを想定しても、アメリカ帝国の戦争に巻き込まれるリスクは“アジア版NATO“と変わらない。問題は集団的自衛権による参戦義務である。 日本人にとっては、戦争に巻き込まれないことが、「抑止力」の問題より、価値が高いのではないだろうか?何故なら、日本の憲法思想は集団的自衛権を基本的に否定しているから。集団的自衛権を否定している以上、あとはいかに戦争に巻き込まれないテクニックを身に付けるか?これが日本人のウチに秘めた思いではないか?それは、国民の物語に深く刻まれた、沖縄戦や大空襲、原爆投下という悲惨な大虐殺の経験が影響しているように思う。 余談だが、かつてPKO(国連平和維持活動)法や戦争法に大反対した日本人は沢山いた。私もその一人。 因みに、私は核武装に反対だし、核抑止力理論は、一部の国の核武装を正当化するためだけの仮説に過ぎないと考える。実際、世界の圧倒的多数の国は核武装なしに安全保障を維持しているのが、その証拠だと考える。 ハナシを戻すと、石破氏の“アジア版NATO“は、日本を戦争に巻き込む集団的自衛権そのものである。だから、戦争に巻き込まれたくない日本人の危険センサーに抵触したのではないか?そうであるなら、そして、ホントに政権交代がなされるなら、日本は少しはマトモなのかなと安心する。 しかし、アメリカ帝国の傀儡を続ける野党に期待するわけではない。日本政治の最大の課題は、あくまで対米自立に尽きると考えている。
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大局的に考えるなら、日本の政治に必要なことは、政権交代である。自公政権が長年続いていることが、政治に緊張感を喪失させ、腐敗を生んだのは間違いないと考えている。
従って、次の衆院選で政権交代の可能性が垣間見えるならば、よい兆候だと考える。
その上で、一有権者としては、では、何故、石破新総裁になり、圧倒的な自民党支持にむかわなかったのか、を考えてみる。
石破首相になり、政治経済社会政策において劇的な変更とか、目玉政策が繰り出されると考えている有権者は、おそらくあまりいないだろう。実際、少子高齢化というトレンドにおいて、既存の仕組みを前提に政策の組み替えや優先順位付けをするしかなく、国論を二分するような課題もない。消費税減税する、しないは課題だろうが、政権選択を決定付ける大争点というカンジには見えない。
となると、やはり裏金問題は尾を引いているということではないか?分かりやすい自民党裏金候補者公認問題は、有権者による厳しい目線を集めるだろう。統一協会との癒着も、自民党のいかがわしさを、有権者に対して強く印象付けた。
全体として、自公政権による長年の政治的堕落に、有権者はさすがにウンザリしているムキが多いということではないか?
それと、石破氏の政策で耳目を集めたのは、やはり“アジア版NATO“ではないか?石破氏は安全保障政策では、一家言持つ政治家と目されていた。外国政策は内政と比べて幅を出しやすい分野ではないか、とも思われる。
そんな中で、繰り出された“アジア版NATO“論。
だが、私は、これにドン引きした有権者は意外に多かったのではないか、と考えている。謂わば、小泉進次郎の解雇規制緩和論みたいなカンジで、有権者にはあさっての方向のズレズレ政策という印象を与えなかったか?
というのも、“アジア版NATO“って?それ、日本、戦争に巻き込まれる可能性高くなるんじゃないの?という印象。
実際、所謂NATO条約なら、抑止力の側面は集団的応戦義務により担保されているわけだろうから。その意味では、アメリカ帝国の戦争に参戦義務がない日米安保条約のほうが、まだマシである。
ここで私見だが、日米安保条約が何故問題か、というなら、それは、核の傘もなく、通常戦力による日本防衛もおそらくないであろう日米同盟なのに、日本は米軍基地というアメリカ帝国の前進基地設置負担を押し付けられていることに尽きると考えている。
要するに、日米安保条約は日本にとっては戦争に巻き込まれ、ミサイルの攻撃目標にされるだけの丸損システムである。
仮に、過去の日米相互防衛条約なるものを想定しても、アメリカ帝国の戦争に巻き込まれるリスクは“アジア版NATO“と変わらない。問題は集団的自衛権による参戦義務である。
日本人にとっては、戦争に巻き込まれないことが、「抑止力」の問題より、価値が高いのではないだろうか?何故なら、日本の憲法思想は集団的自衛権を基本的に否定しているから。集団的自衛権を否定している以上、あとはいかに戦争に巻き込まれないテクニックを身に付けるか?これが日本人のウチに秘めた思いではないか?それは、国民の物語に深く刻まれた、沖縄戦や大空襲、原爆投下という悲惨な大虐殺の経験が影響しているように思う。
余談だが、かつてPKO(国連平和維持活動)法や戦争法に大反対した日本人は沢山いた。私もその一人。
因みに、私は核武装に反対だし、核抑止力理論は、一部の国の核武装を正当化するためだけの仮説に過ぎないと考える。実際、世界の圧倒的多数の国は核武装なしに安全保障を維持しているのが、その証拠だと考える。
ハナシを戻すと、石破氏の“アジア版NATO“は、日本を戦争に巻き込む集団的自衛権そのものである。だから、戦争に巻き込まれたくない日本人の危険センサーに抵触したのではないか?そうであるなら、そして、ホントに政権交代がなされるなら、日本は少しはマトモなのかなと安心する。
しかし、アメリカ帝国の傀儡を続ける野党に期待するわけではない。日本政治の最大の課題は、あくまで対米自立に尽きると考えている。