当初、日本ではショイグ国防相解任みたいな報道のしかたであったが、実際には、プーチン大統領として、新たな状況に対応するための戦略的人事異動ということだったのだろう。 それはともかく、ロシアの主要な政治家はみな、よい意味で西欧文明の批判者であり、その意味で思想家然としている。 >ロシアは近代化された保守主義の道を歩むべきだ 西欧が世界中に押し付けようとしている自由民主主義イデオロギーが、実はネオコンや戦争屋、DSといった特権的エリートの隠れ蓑でしかないことは、ますます明白になっている。 それに対して、実力行使も含めて反旗を翻したのが、ロシアであり、それを支えているのが中国、インドやBRICS諸国、グローバルサウス。これが基本的構図と考えている。 そして、西側アメリカ帝国傀儡国には主権がない、という意味をより具体的にいうなら、それは一部の特権的エリートと、多くの一般大衆、庶民の幸福とが一致していない、という現象でもある。 一部の特権エリート、それをDSとかWEFとか、軍産複合体とか金融資本とかヘッジファンドとかメガファーマとか、いろいろな側面から可視化できると思うが、明らかに彼らのせいで一般庶民は、物価高騰の生活苦、薬害、果ては戦争の悲劇に放り込まれる命の危険にさらされている。 そのような悲劇や悲惨を糊塗するために進歩的イデオロギーとしての自由民主主義が喧伝され続けてきた。人権を踏みにじる最大の悪行は戦争の筈だが、意図的に戦争をしては、人権だのLGBTQだの「進歩的」価値観を他国に押し付け、西欧文明化を強制する。 そうしたアングロサクソン流西欧文明を、一度括弧に括り、相対化するべきだ。それが多極世界の価値観であろう。 その意味では、ロシアの見方によると日本は、単独の文明として認定されているようだ。だからこそ、もはや脱亜入欧の逆を行くべきだろう。 アメリカ帝国ら西側の特権エリートにより被害を被る国民も、中露BRICSグローバルサウスによる西側エリート包囲環に入っていると言える気がする。もう、西欧を有難がるより、自国の流儀による幸福を考えればよい。 それにしても、「近代化された保守主義」という言葉は刺さる。 とはいえ、そもそもで言うなら、私は学生地代は、ブルジョア民主主義粉砕!プロレタリア独裁万歳!みたいなことを言ってた。保守?フンサーイ、みたいなカンジである。この場合、ブルジョア民主主義は自由民主主義と同義であった。 あれ?よく思い返してみると、私はかつて「民主主義者」じゃなかったみたいな。独裁、支持してたなー、みたいな。 私はサヨクであるから、保守と革新の対立が激しかった時代から、革新陣営こそが進歩や反権力、反権威の人民の味方みたいなイメージを内面化しており、ジブンもそのような進歩的思考に適応しようと、それなりに努力はしてきた。 とはいえ、私自身のライフスタイルは様々な意味で保守的であった。或いは日和見的といおうか? その意味で、私は保守かもしれないかな、みたいな自己分析もしないではない。 ともかく、今、実を言うと、私は保守の中に「進歩」とか、「革新」のイメージを見いだしている。サヨクを続けてきて、めぐりめぐって、辿り着いたのは、「近代化された保守」というのなら、悪くはないかな、と思う今日この頃である。 独裁と保守を西欧自由民主主義のアンチテーゼにすることは、今や「進歩」かもしれない。 だから、西欧文明を撃つロシアに新しい思潮を見いだしている。
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当初、日本ではショイグ国防相解任みたいな報道のしかたであったが、実際には、プーチン大統領として、新たな状況に対応するための戦略的人事異動ということだったのだろう。
それはともかく、ロシアの主要な政治家はみな、よい意味で西欧文明の批判者であり、その意味で思想家然としている。
>ロシアは近代化された保守主義の道を歩むべきだ
西欧が世界中に押し付けようとしている自由民主主義イデオロギーが、実はネオコンや戦争屋、DSといった特権的エリートの隠れ蓑でしかないことは、ますます明白になっている。
それに対して、実力行使も含めて反旗を翻したのが、ロシアであり、それを支えているのが中国、インドやBRICS諸国、グローバルサウス。これが基本的構図と考えている。
そして、西側アメリカ帝国傀儡国には主権がない、という意味をより具体的にいうなら、それは一部の特権的エリートと、多くの一般大衆、庶民の幸福とが一致していない、という現象でもある。
一部の特権エリート、それをDSとかWEFとか、軍産複合体とか金融資本とかヘッジファンドとかメガファーマとか、いろいろな側面から可視化できると思うが、明らかに彼らのせいで一般庶民は、物価高騰の生活苦、薬害、果ては戦争の悲劇に放り込まれる命の危険にさらされている。
そのような悲劇や悲惨を糊塗するために進歩的イデオロギーとしての自由民主主義が喧伝され続けてきた。人権を踏みにじる最大の悪行は戦争の筈だが、意図的に戦争をしては、人権だのLGBTQだの「進歩的」価値観を他国に押し付け、西欧文明化を強制する。
そうしたアングロサクソン流西欧文明を、一度括弧に括り、相対化するべきだ。それが多極世界の価値観であろう。
その意味では、ロシアの見方によると日本は、単独の文明として認定されているようだ。だからこそ、もはや脱亜入欧の逆を行くべきだろう。
アメリカ帝国ら西側の特権エリートにより被害を被る国民も、中露BRICSグローバルサウスによる西側エリート包囲環に入っていると言える気がする。もう、西欧を有難がるより、自国の流儀による幸福を考えればよい。
それにしても、「近代化された保守主義」という言葉は刺さる。
とはいえ、そもそもで言うなら、私は学生地代は、ブルジョア民主主義粉砕!プロレタリア独裁万歳!みたいなことを言ってた。保守?フンサーイ、みたいなカンジである。この場合、ブルジョア民主主義は自由民主主義と同義であった。
あれ?よく思い返してみると、私はかつて「民主主義者」じゃなかったみたいな。独裁、支持してたなー、みたいな。
私はサヨクであるから、保守と革新の対立が激しかった時代から、革新陣営こそが進歩や反権力、反権威の人民の味方みたいなイメージを内面化しており、ジブンもそのような進歩的思考に適応しようと、それなりに努力はしてきた。
とはいえ、私自身のライフスタイルは様々な意味で保守的であった。或いは日和見的といおうか?
その意味で、私は保守かもしれないかな、みたいな自己分析もしないではない。
ともかく、今、実を言うと、私は保守の中に「進歩」とか、「革新」のイメージを見いだしている。サヨクを続けてきて、めぐりめぐって、辿り着いたのは、「近代化された保守」というのなら、悪くはないかな、と思う今日この頃である。
独裁と保守を西欧自由民主主義のアンチテーゼにすることは、今や「進歩」かもしれない。
だから、西欧文明を撃つロシアに新しい思潮を見いだしている。