どのような人生を選択するか、どのような生活をしたいか、は本来的には各人の自由に委ねるられるべきなのであろう。 だが、実際には、人は様々な条件的制約の中で選択を迫られるものだろう。だから、なかなか「完全な自由」選択というわけにはいかない、と思う。 そうした様々な条件的制約の中でも、都市居住者か地方居住者か、という点は、大きく人生を左右する要素ではないか、と考えている。 私の個人的人生観では、教育、福祉、医療、安定的雇用は、人間らしく生きるために必要な基本的資源だと考えている。 とすると、これらの必要な資源は、都市部であればあるほど充実しているだろう。なぜなら、一定の人口の集積があってはじめて充実する社会的なインフラであるから。 逆に、極端なハナシ、テレビでみる「ポツンと一軒家」のような生活では、少なくとも、教育、福祉、医療、安定的雇用という観点で難点がなかろうか、と懸念する。勿論、別の価値を優先する人もいるだろう。 しかし、大規模災害に直面した時、現実の問題として山間部のリスクは高くなる。 「人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだ」 これは立憲民主党の米山隆一衆院議員の見解である。私も基本的には同感である。 https://mainichi.jp/articles/20240126/k00/00m/040/382000c とりわけ、人口減少が傾向として続くであろう縮小日本の現実の中で、人間らしく生きる、或いはそれを妨げるリスクを低減させるためにも、私は都市部への人口の集積が合理的ではないか?と考えてきた。 とはいえ、人間らしく生きるためには、当然、「食」の問題を考える必要がある。都市部が農山漁村にとって代わり、食物生産の拠点になることは現実的に難しいだろう。 とすると、都市部を支える食料生産拠点として、農山漁村の役割は重要だ。だから、農山漁村の維持発展も重要な課題だ。 問題は、人口減少という長期傾向の中で、効率的でバランス良く、人間らしく生きることの出来る生活環境が保障されることだて考えている。 必要な社会的資源は、教育、福祉、医療、安定的雇用。だとするなら、やはり、合理的な答えは、都市部への人口集積だろう。だが、同時に都市部を支える食料生産という点で、農山漁村の役割は大きい。 だから、率直に言うなら、地方再生とか、地域再生とか、地方創生という考え方には、優先順位とか、どこに力点を置くか、を明確にする必要があると考えている。別の言い方をすると、単に田舎暮らしとか、過疎地の地域興しみたいな、どちらかというと個人的価値観目線では、時代にそぐわないのではなかろうか? さて、以上は、常々、都市と地方に関して、私が思っていることだが、つい最近、とある事情で、地方の住宅事情を調べてみて驚いた。 そこは、県庁所在地の地方都市だが、かなり家賃相場が安いのであった。1Kくらいなら、駅(県庁所在地駅)徒歩10分、築年数も比較的新しい物件で6万~7万。 これなら、多少、築年数を古くしたら、駅近5万前後でアパートを探せるだろう。なるほど、これなら可処分所得が増えるし、節約すれば、おかねが貯まりそうだな、と。結構なことだな、と。 しかし、ふと気になって、市役所のホームページを見たら、人口の推移としては、遠からず、生産年齢人口が激減することになっていた。どうりで、家賃相場が安いわけだと合点がいった。
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孫崎享チャンネル
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どのような人生を選択するか、どのような生活をしたいか、は本来的には各人の自由に委ねるられるべきなのであろう。
だが、実際には、人は様々な条件的制約の中で選択を迫られるものだろう。だから、なかなか「完全な自由」選択というわけにはいかない、と思う。
そうした様々な条件的制約の中でも、都市居住者か地方居住者か、という点は、大きく人生を左右する要素ではないか、と考えている。
私の個人的人生観では、教育、福祉、医療、安定的雇用は、人間らしく生きるために必要な基本的資源だと考えている。
とすると、これらの必要な資源は、都市部であればあるほど充実しているだろう。なぜなら、一定の人口の集積があってはじめて充実する社会的なインフラであるから。
逆に、極端なハナシ、テレビでみる「ポツンと一軒家」のような生活では、少なくとも、教育、福祉、医療、安定的雇用という観点で難点がなかろうか、と懸念する。勿論、別の価値を優先する人もいるだろう。
しかし、大規模災害に直面した時、現実の問題として山間部のリスクは高くなる。
「人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだ」
これは立憲民主党の米山隆一衆院議員の見解である。私も基本的には同感である。
https://mainichi.jp/articles/20240126/k00/00m/040/382000c
とりわけ、人口減少が傾向として続くであろう縮小日本の現実の中で、人間らしく生きる、或いはそれを妨げるリスクを低減させるためにも、私は都市部への人口の集積が合理的ではないか?と考えてきた。
とはいえ、人間らしく生きるためには、当然、「食」の問題を考える必要がある。都市部が農山漁村にとって代わり、食物生産の拠点になることは現実的に難しいだろう。
とすると、都市部を支える食料生産拠点として、農山漁村の役割は重要だ。だから、農山漁村の維持発展も重要な課題だ。
問題は、人口減少という長期傾向の中で、効率的でバランス良く、人間らしく生きることの出来る生活環境が保障されることだて考えている。
必要な社会的資源は、教育、福祉、医療、安定的雇用。だとするなら、やはり、合理的な答えは、都市部への人口集積だろう。だが、同時に都市部を支える食料生産という点で、農山漁村の役割は大きい。
だから、率直に言うなら、地方再生とか、地域再生とか、地方創生という考え方には、優先順位とか、どこに力点を置くか、を明確にする必要があると考えている。別の言い方をすると、単に田舎暮らしとか、過疎地の地域興しみたいな、どちらかというと個人的価値観目線では、時代にそぐわないのではなかろうか?
さて、以上は、常々、都市と地方に関して、私が思っていることだが、つい最近、とある事情で、地方の住宅事情を調べてみて驚いた。
そこは、県庁所在地の地方都市だが、かなり家賃相場が安いのであった。1Kくらいなら、駅(県庁所在地駅)徒歩10分、築年数も比較的新しい物件で6万~7万。
これなら、多少、築年数を古くしたら、駅近5万前後でアパートを探せるだろう。なるほど、これなら可処分所得が増えるし、節約すれば、おかねが貯まりそうだな、と。結構なことだな、と。
しかし、ふと気になって、市役所のホームページを見たら、人口の推移としては、遠からず、生産年齢人口が激減することになっていた。どうりで、家賃相場が安いわけだと合点がいった。