>膨れ上がった公的債務は経済の重荷となり、生産性を失速させ、増税し、民間部門への融資を締め出す 私は財政再建派。というより、「高福祉高負担」であったり、北欧型の社会民主主義であったり、税による分かち合いに基づく社会政策を支持する立場である。 だから、借金(国債)頼みの社会政策ではなく、国民の応分の負担とその分配により、弱者を救済することを理想としている。 財政は社会政策のため、分配のために活用するべきで、将来の孫子らにツケを廻すのではなく、今生きる人々が必要に応じて、公正に負担するべきだから、国債(借金)でなく、税負担をするべきだ、という立場である。 従って、どちらかというと財政再建不要論派が蛇蝎の如く嫌う財務官僚の立場と親和的である。しかし、当然なんのために増税するのか、は重要な論点なのであって、軍備増強のための増税は反対だ。当たり前だが、増税ならなんでもよいという立場ではない。 さて、前置きが長くて恐縮であるが、孫崎先生から今回紹介していただいた論評には、次のような反論がなされる。 もっとも、上記の論評は財政破綻の可能性を論じたものではないが、財政再建不要論派の根拠は、日本は財政破綻はしないから、いくら借金(国債発行)しても大丈夫という論理だから、焦点は財政破綻の有無だろう。ということで、財政再建不要論により、ありうる反論の典型を見てみたい。 「財政破綻にとって重要なのは、「政府の債務(主に国債)が自国通貨建てなのか、否か」のみなのです。」 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12843945415.html これは三橋貴明氏のブログからの引用である。こういう議論は、私の記憶違いでなければ、森永卓郎氏も同様な主張でなかったか?三橋氏は立憲民主党の原口一博氏の勉強会にも講師として招かれている人物なので、この分野の論客である。 https://x.com/kharaguchi/status/1767365474088869954?s=20 因みに、私は原口議員の主張には多く賛同するものだか、これらの点では隔たりがある。 ハナシを戻すと、財政再建不要論とは、自国通貨建ての国債を国内銀行から日銀が買い入れているだけだから、それは本質的に国内銀行の資産となるだけで、日本国全体を想定するなら、負債ではない、という論法だろう。要するに、一人の人間が財布Aから財布Bにおカネを移し替えたようなもの、みたいなイメージだろうか? しかし、私はこの論理には違和感がある。箇条書き的に違和感を羅列したい。 ①この論理は自国内自己完結的モデルを想定しているように見える。 ②つまり、自国通貨は外国からの影響は一切ないみたいな。 ③しかし、通貨は常に為替変動しており、現に今は円安である。円の価値は強いドルに対して下がっている。 ④通貨は国力そのものだとすると、それは国の信用力が源泉ではないか? ⑤それに今は輸入物価、輸入資材高騰インフレである。つまり、国際情勢の影響をモロに受けている。 ⑥つまり、外国の信認や外国の影響を、一国の経済(通貨)は確実に受けるのである。 ⑦その意味で、自国通貨建て起債を続けていれば、絶対に財政破綻しない、というのは外国からの影響を受けないという意味では、非現実的ではないのか? ⑧政府債務や償還コストの増大が、外国からの信用低下を招き、円の価値を下げる可能性はないのか? ⑨円の価値が下がれば、ますます物価高になり、利上げせざるを得なくなり、結果的に国債の償還コストを押し上げ、財政破綻に陥る可能性はないのか? ⑩輸入品・輸入資材高騰は、結局、現物(資源・農作物等)を持っている国が強いということだろう。 ⑪一方、「財政破綻にとって重要なのは、「政府の債務(主に国債)が自国通貨建てなのか、否か」のみなのです。」等というハナシは、理論的皮算用に過ぎないのではないか? ⑫それは実態経済と関係ない株高に似た、実態無き金融資本主義のインチキに近いように見える。 ⑬アメリカ帝国らが主導した金融資本主義では、一部の投機的金融資本が先物取引などを駆使して、株価が上がろうが、下がろうが、利益をあげられるのだろう。 ⑭BRICS諸国は金融資本主義と距離をおき、資源等の現物を経済の中心に据えるべく、貿易決済の仕組みを変えようとしているのではないか? ⑮資源がなく、政府債務残高の多い日本の通貨、円の価値は弱くなるのではないか? 思い付くままに、財政再建不要論派に対する疑問を書いてみた。素人の杞憂だと一蹴されることは想定内である。
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(ID:119568177)
>膨れ上がった公的債務は経済の重荷となり、生産性を失速させ、増税し、民間部門への融資を締め出す
私は財政再建派。というより、「高福祉高負担」であったり、北欧型の社会民主主義であったり、税による分かち合いに基づく社会政策を支持する立場である。
だから、借金(国債)頼みの社会政策ではなく、国民の応分の負担とその分配により、弱者を救済することを理想としている。
財政は社会政策のため、分配のために活用するべきで、将来の孫子らにツケを廻すのではなく、今生きる人々が必要に応じて、公正に負担するべきだから、国債(借金)でなく、税負担をするべきだ、という立場である。
従って、どちらかというと財政再建不要論派が蛇蝎の如く嫌う財務官僚の立場と親和的である。しかし、当然なんのために増税するのか、は重要な論点なのであって、軍備増強のための増税は反対だ。当たり前だが、増税ならなんでもよいという立場ではない。
さて、前置きが長くて恐縮であるが、孫崎先生から今回紹介していただいた論評には、次のような反論がなされる。
もっとも、上記の論評は財政破綻の可能性を論じたものではないが、財政再建不要論派の根拠は、日本は財政破綻はしないから、いくら借金(国債発行)しても大丈夫という論理だから、焦点は財政破綻の有無だろう。ということで、財政再建不要論により、ありうる反論の典型を見てみたい。
「財政破綻にとって重要なのは、「政府の債務(主に国債)が自国通貨建てなのか、否か」のみなのです。」
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12843945415.html
これは三橋貴明氏のブログからの引用である。こういう議論は、私の記憶違いでなければ、森永卓郎氏も同様な主張でなかったか?三橋氏は立憲民主党の原口一博氏の勉強会にも講師として招かれている人物なので、この分野の論客である。
https://x.com/kharaguchi/status/1767365474088869954?s=20
因みに、私は原口議員の主張には多く賛同するものだか、これらの点では隔たりがある。
ハナシを戻すと、財政再建不要論とは、自国通貨建ての国債を国内銀行から日銀が買い入れているだけだから、それは本質的に国内銀行の資産となるだけで、日本国全体を想定するなら、負債ではない、という論法だろう。要するに、一人の人間が財布Aから財布Bにおカネを移し替えたようなもの、みたいなイメージだろうか?
しかし、私はこの論理には違和感がある。箇条書き的に違和感を羅列したい。
①この論理は自国内自己完結的モデルを想定しているように見える。
②つまり、自国通貨は外国からの影響は一切ないみたいな。
③しかし、通貨は常に為替変動しており、現に今は円安である。円の価値は強いドルに対して下がっている。
④通貨は国力そのものだとすると、それは国の信用力が源泉ではないか?
⑤それに今は輸入物価、輸入資材高騰インフレである。つまり、国際情勢の影響をモロに受けている。
⑥つまり、外国の信認や外国の影響を、一国の経済(通貨)は確実に受けるのである。
⑦その意味で、自国通貨建て起債を続けていれば、絶対に財政破綻しない、というのは外国からの影響を受けないという意味では、非現実的ではないのか?
⑧政府債務や償還コストの増大が、外国からの信用低下を招き、円の価値を下げる可能性はないのか?
⑨円の価値が下がれば、ますます物価高になり、利上げせざるを得なくなり、結果的に国債の償還コストを押し上げ、財政破綻に陥る可能性はないのか?
⑩輸入品・輸入資材高騰は、結局、現物(資源・農作物等)を持っている国が強いということだろう。
⑪一方、「財政破綻にとって重要なのは、「政府の債務(主に国債)が自国通貨建てなのか、否か」のみなのです。」等というハナシは、理論的皮算用に過ぎないのではないか?
⑫それは実態経済と関係ない株高に似た、実態無き金融資本主義のインチキに近いように見える。
⑬アメリカ帝国らが主導した金融資本主義では、一部の投機的金融資本が先物取引などを駆使して、株価が上がろうが、下がろうが、利益をあげられるのだろう。
⑭BRICS諸国は金融資本主義と距離をおき、資源等の現物を経済の中心に据えるべく、貿易決済の仕組みを変えようとしているのではないか?
⑮資源がなく、政府債務残高の多い日本の通貨、円の価値は弱くなるのではないか?
思い付くままに、財政再建不要論派に対する疑問を書いてみた。素人の杞憂だと一蹴されることは想定内である。