中庸左派 のコメント

振り返ってみると、私は書物に助けられ、支えられてきたと思う。

応援というのは他者から受けるものだろうし、人は他者から支えられているものだ。だから、私も家族や先輩、有人、知人などにひとかたならぬ支えや応援を得て今日に至ると考えているが、言葉によるメッセージとか困難に立ち向かった際の声援、となると具体的にこの場面、みたいな鮮烈な思い出がない。

これはひとえに、私自身が高い目標設定を避け、身の丈にあった日々の積み重ねに明け暮れてきたからであろう、と思っている。要するに、平々凡々たる歩みを続けてきた。社会人になれば、求められる職責や社会的役割を一定の水準でこなしていれば、安定した生活は得られるものだ。「ほめられもせず、苦にもされず」ということを人生の指針にすれば、存外に荒波を回避できるものではないか、そんな人生訓めいた感慨すら覚える今日この頃である。

学生時代からサヨクを自認しつつも、「就職」せずに活動家を続ける先輩方を横目にアッサリ就職し、大組織に職を得て、冒険しないほどほど人生をモットーに生きてくれば、人から声援を受ける機会にも恵まれることはなくなるもの。

こう書くと自嘲っぽいが、単に客観的に書いてみただけで、正直、今が一番気楽でいいなぁ、というのがホンネである。

ほめられもせず、苦にもされず、そうであったなら、十分である。

といっても、小さな波やさざ波に足許を取られることもある。心身や環境の変化がメンタルに作用することもあるだろう。私も男の「更年期」だろうか、なんだかわらないが、鬱々とした気分が晴れない日々が続いたことはあった。

といって、夫・父親たるもの家族に悩みをぶちまけて、応援ヨロシク!みたいにスナオにジブンをさらけ出すことはムズカシイ。私は、家父長制や権威主義に反対するサヨクを自認してはいたが、さりとて己の弱さをさらけ出す率直さはなかった。陰々滅々とした複雑系の心理状態であったろう。

そんな時、書物は人生の伴走者。人生の応援団のようなもの。書物には本当に支えられ、助けられたと思い返している。私は、常々息子、娘には本を読むよう諭してきたが、それは私が確信を持って伝えられる人生訓の一つである。

No.6 8ヶ月前

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