中庸左派 のコメント

 ディストピア小説と言えば、私は中村文則氏の『R帝国』も思い出す。この中での支配政党に対する反対派としての「野党」は、結局は体制補完勢力に過ぎなかったように描かれていたと記憶している。

 意識してか、知らずかに関わらず、結果的に、既存の体制や構造を支えていることになっている、ということは多いのだろう。そして、その体制とか、構造が、多くの人を必ずしも幸せにしない、とするなら、それは罪深く、深刻な状況と言ってよいだろう。

 端的な例を言うなら、投票に行かない人は自民党の補完勢力と同じ、というように。

 せめて意識せずに社会の生きにくさ、社会的閉塞感、政治の腐敗堕落の補完勢力に堕さないようにしたいものである。

 私は、無意識の社会的閉塞感への加担者になるかどうか、リトマス試験紙になったのは新型コロナ騒動であると考えてきた。新型コロナ騒動にどう関わるか、はある種のディストピア世界を個人として、どう補完するか、しないかのリトマス試験紙であった、と。

 私はと言えば、考え方としては経済活動の自粛、mRNAワクチン接種に対する反対派としての立場は貫いたと自負している。オリンピックの開催も大賛成であった。だから、ディストピア状況を無意識に補完したつもりはない。

 だが、マスク着用など、周囲との無用な摩擦を避けるための忖度はしていた。

 そんな中で、若干残念だったのは、ディストピアの批判者である筈の中村文則氏が、コロナ自粛とかロックダウンを提唱していたことであった。

https://mainichi.jp/articles/20210401/ddl/k23/070/093000c

 経済活動の自粛は結局、社会的弱者を直撃する。現に若い女性の自殺者が急増した。

https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20230724_n01/

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE171160X10C22A8000000/

 自粛の思想は、「死者」を減らすためのある種のモラルであり善意の思想だろう。しかし、そもそも人はいつか必ず死ぬ。そして、所謂コロナ死のみに焦点をあてて、コロナ死のみを減らすことで、別の死が増えたとしたら、それは自粛によるディストピア社会ではないのか?

 実際、若い女性の自殺急増や、mRNAワクチン死やワクチン被害は事実現実である。

 モラルとか、善意とかで良かれと思ってディストピアに加担したり、補完したりしていることはありうる。では、どうしたら、ディストピアの補完勢力に堕することなく生きることが出来るのか?

 私は、多様な情報を集め、多面的に考えることで、自分なりの優先順位をつけるなど、哲学を持つことだと考えている。

 コロナ騒動に引きつけて、言うなら、私は若者たちを犠牲にする社会は歪んでいると考えている。優先すべきは若者たちの自由な活動であった、と。大人達はあの時、どうしたらそれが出来るか、という切り口で対処法を考えるべきであった、と。そのように言うのは私なりの「哲学」である。

No.3 9ヶ月前

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