RT 12 Feb, 2024 タッカー・カールソン、プーチン大統領インタビューを振り返り、何が自分を「過激化」させたかを明かす https://www.rt.com/news/592332-tucker-carlson-dubai-speech/ ドバイで開催された世界政府サミットで、米国人ジャーナリスト自身が質問の対象となった- モスクワでのプーチン大統領との2時間に及ぶインタビューに続き、米国人ジャーナリストのタッカー・カールソンが、ドバイで開催された世界政府サミットでの経験について口を開いた。 テレビ司会者のエマド・エルディン・アデブとの1時間に及ぶインタビューで、カールソンは、プーチンとの会話が特定のトピックに触れなかった理由、米国の政治エリートがそれにどう反応したか、ワシントンがモスクワを理解できなかった理由などについて言及した。 ■外交官プーチン カールソンは、インタビューの後、プーチンとオフレコで会話をしたと主張したが、何を話したかは明らかにしなかった。 カールソンは、プーチンはウクライナ紛争の終結と世界の新しいパワーバランスについて西側と交渉する意思があるようだと述べた。外交とは妥協の技術であり、「一極支配時代の米国を除けば」殆ど全ての人がこのことを理解している、とカールソンは言った。しかし、プーチンは紛争の終結を望んでいるが、彼の立場は紛争が長引けば長引くほど硬化していくだけだ、と彼は付け加えた。 ■NATOとロシア カールソンのインタビューで明らかになったことの一つは、ロシアがNATOへの加盟を希望していたことだ。当時のビル・クリントン米大統領は、この案を受け入れているように見えたが、側近たちは反対し、結局は失敗に終わった。 NATOの目的はソ連を西欧から締め出すことだったので、カールソンはドバイで次のように語った―「もしロシアが同盟への参加を求めてきたら、それは問題が解決したことを示唆しており、西側は何か建設的な行動に移ることができただろう。しかし、我々は拒否した」 「サウナで1時間座って、それが何を意味するか考えてほしい」と彼は付け加えた。 ■西側の政治家の問題点 西側の政治家は「達成可能な」目標を掲げていない、とカールソンは主張する。 「クリミアをウクライナに返還すればいいだけだ、と米国政府関係者が言っているのを個人的に聞いたことがある」と彼は語った。「核戦争でも起きない限り、そんなことは起こらない。実際、それは正気の沙汰ではない」 この種の考えを持ち出すこと自体、「当人は子供で、この地域を全く理解しておらず、何が可能かについて本当の感覚を持っていないことを示している」と同ジャーナリストは結論付けた。 ■とどのつまりは1938年のミュンヘン カールソンによれば、米国と西側諸国全般における最大の問題の一つは、英国とフランスがチェコスロバキアの一部をナチス・ドイツに与えることでナチス・ドイツを「宥めよう」とした1938年のミュンヘン会議に全てを還元しようとする傾向にあるという。 「米国の政策立案者の歴史テンプレートはごく僅かで、実際には1つしかない。それは1930年代後半の2年間で、全てはその歴史認識と人間性に基づいている。正気の沙汰とは思えない」とカールソンは言った。 ■モスクワが自分をどのように「過激化」させたか カールソンは、自分が54歳で、安全で美しい都市がある米国で育ったものの、「もう我々にはそのような都市はない」と指摘した。 モスクワが米国の都市よりも「清潔で、安全で、美しい」のを見せられれば「過激化させられる」と彼は言った、あるいはドバイやアブダビでそのことを思い出させられた―米国では汚くて危険なためにニューヨーク市の地下鉄には乗れないからだ。 「それは自発的な選択だ」と彼は言った。「実際、犯罪を犯そうという話ではない」 ■反感への反応 なぜプーチンに特定の話題を振らなかったのかと尋ねられたカールソンは、ロシアの指導者が世界をどのように見ているのかに興味があったからインタビューしたかったのであって、議論に自分から首を突っ込むためではないと答えた。 米国が嫌っている指導者にインタビューするジャーナリストの殆どは、自分自身のことを話題にする傾向があるが、同氏は自分の妻とその子供たちの同意だけを気にしていたので、自分の認識と関心を示す行為は必要なかったとカールソンは付け加えた。 元米大統領候補のヒラリー・クリントンが彼をロシアの「役に立つ馬鹿」と呼んだことについてコメントを求められ、カールソンは笑い飛ばした。 「彼女は子供だ。彼女の言うことには耳を貸さない」と彼は語った。「リビアはどうなっているのか?」
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RT 12 Feb, 2024
タッカー・カールソン、プーチン大統領インタビューを振り返り、何が自分を「過激化」させたかを明かす
https://www.rt.com/news/592332-tucker-carlson-dubai-speech/
ドバイで開催された世界政府サミットで、米国人ジャーナリスト自身が質問の対象となった-
モスクワでのプーチン大統領との2時間に及ぶインタビューに続き、米国人ジャーナリストのタッカー・カールソンが、ドバイで開催された世界政府サミットでの経験について口を開いた。
テレビ司会者のエマド・エルディン・アデブとの1時間に及ぶインタビューで、カールソンは、プーチンとの会話が特定のトピックに触れなかった理由、米国の政治エリートがそれにどう反応したか、ワシントンがモスクワを理解できなかった理由などについて言及した。
■外交官プーチン
カールソンは、インタビューの後、プーチンとオフレコで会話をしたと主張したが、何を話したかは明らかにしなかった。
カールソンは、プーチンはウクライナ紛争の終結と世界の新しいパワーバランスについて西側と交渉する意思があるようだと述べた。外交とは妥協の技術であり、「一極支配時代の米国を除けば」殆ど全ての人がこのことを理解している、とカールソンは言った。しかし、プーチンは紛争の終結を望んでいるが、彼の立場は紛争が長引けば長引くほど硬化していくだけだ、と彼は付け加えた。
■NATOとロシア
カールソンのインタビューで明らかになったことの一つは、ロシアがNATOへの加盟を希望していたことだ。当時のビル・クリントン米大統領は、この案を受け入れているように見えたが、側近たちは反対し、結局は失敗に終わった。
NATOの目的はソ連を西欧から締め出すことだったので、カールソンはドバイで次のように語った―「もしロシアが同盟への参加を求めてきたら、それは問題が解決したことを示唆しており、西側は何か建設的な行動に移ることができただろう。しかし、我々は拒否した」
「サウナで1時間座って、それが何を意味するか考えてほしい」と彼は付け加えた。
■西側の政治家の問題点
西側の政治家は「達成可能な」目標を掲げていない、とカールソンは主張する。
「クリミアをウクライナに返還すればいいだけだ、と米国政府関係者が言っているのを個人的に聞いたことがある」と彼は語った。「核戦争でも起きない限り、そんなことは起こらない。実際、それは正気の沙汰ではない」
この種の考えを持ち出すこと自体、「当人は子供で、この地域を全く理解しておらず、何が可能かについて本当の感覚を持っていないことを示している」と同ジャーナリストは結論付けた。
■とどのつまりは1938年のミュンヘン
カールソンによれば、米国と西側諸国全般における最大の問題の一つは、英国とフランスがチェコスロバキアの一部をナチス・ドイツに与えることでナチス・ドイツを「宥めよう」とした1938年のミュンヘン会議に全てを還元しようとする傾向にあるという。
「米国の政策立案者の歴史テンプレートはごく僅かで、実際には1つしかない。それは1930年代後半の2年間で、全てはその歴史認識と人間性に基づいている。正気の沙汰とは思えない」とカールソンは言った。
■モスクワが自分をどのように「過激化」させたか
カールソンは、自分が54歳で、安全で美しい都市がある米国で育ったものの、「もう我々にはそのような都市はない」と指摘した。
モスクワが米国の都市よりも「清潔で、安全で、美しい」のを見せられれば「過激化させられる」と彼は言った、あるいはドバイやアブダビでそのことを思い出させられた―米国では汚くて危険なためにニューヨーク市の地下鉄には乗れないからだ。
「それは自発的な選択だ」と彼は言った。「実際、犯罪を犯そうという話ではない」
■反感への反応
なぜプーチンに特定の話題を振らなかったのかと尋ねられたカールソンは、ロシアの指導者が世界をどのように見ているのかに興味があったからインタビューしたかったのであって、議論に自分から首を突っ込むためではないと答えた。
米国が嫌っている指導者にインタビューするジャーナリストの殆どは、自分自身のことを話題にする傾向があるが、同氏は自分の妻とその子供たちの同意だけを気にしていたので、自分の認識と関心を示す行為は必要なかったとカールソンは付け加えた。
元米大統領候補のヒラリー・クリントンが彼をロシアの「役に立つ馬鹿」と呼んだことについてコメントを求められ、カールソンは笑い飛ばした。
「彼女は子供だ。彼女の言うことには耳を貸さない」と彼は語った。「リビアはどうなっているのか?」