「領土」に関して、個人的な見解を、まずは述べておきたい。 私は「実効支配」していない「領土」に関しては、正直、領土という認識は薄い、限りなく、実効支配していない領土は「領土ではない」、という受け止め方である。 だから、そもそも北方領土問題や竹島問題に関心は薄いことを告白しておく。つまり、個人的には積極的に「返還」という問題意識はない。 ただし、これは日本について、日本人としての見解と言う観点であることは、お断りしておく。北方領土返還!を訴えている人達がいることは知っているし、敢えて足を引っ張るとか、揶揄する気はない。だが、正直、積極的に賛同するわけでもない、というカンジである。 私は領土を巡って、戦争をしてまで執着する感覚はない、そういう意味である。戦争さえしないなら、それで良い。後は野となれ山となれ、である。戦争でなく、話し合いにより「領土」が戻るなら、喜ばしいことである。 だから、日本以外の他国が領土や故郷を巡る争いは、別の次元で考えている。戦争反対、反戦平和を訴えるが、争う当事者のどちらに義があるか、それを見極めている。 さて、前置きが長く恐縮であるが、私のような「領土問題」不勉強派にとって、孫崎先生のご指摘は非常によい学びとなった。 「政府は北方領土をロシアの不法占拠としているが史実は違う。日本はポツダム宣言、降伏文書、サンフランシスコ講和条約で千島列島(国後・択捉含む)を放棄。合わせて米ロ間では、ルーズベルトがスターリンに千島の占拠を承認している。露不法占拠は悪質な史実の歪め。」 今後、私は孫崎先生の見解を踏まえて、領土問題を考えたいと思う。 孫崎先生の教えを踏まえて、ではサヨクの北方領土観はどんなものか、と興味が湧いて、日共の主張を見てみた(因みに私は新サヨクなので、日共とは違う立場)。 https://www.jcp.or.jp/web_policy/2001/04/post-296.html 日共によると、「歯舞、色丹と千島列島全体が日本の歴史的な領土」 私が面白いな、と思ったのは「千島列島全体が日本の歴史的な領土」という、日共の主張。千島列島全体?南千島だけでなくて? で、その「歴史的」な根拠として、「1875年(明治8年)にロシアの首都サンクトペテルブルクで結ばれた「樺太・千島交換条約」です。この条約に よって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となったのです。」としている。 ふーん、歴史的? だが、よく考えると、話し合い(条約)による領土化は歴史的な位置付としてよいものか?そもそも、歴史的にはアイヌ民族の故郷ではないのか?素朴な疑問が湧き起こる。 しかも、1945年に日本敗戦。そして、旧ソ連は「千島列島だけでなく、ヤルタ協定で言及されなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、戦後まもない一九四六年に、平和条約も問題にならないあいだに、千島列島と歯舞・色丹のソ連領への「編入」を一方的に強行してしまいました。」 孫崎先生の見解を踏まえると、南千島を「北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し」という点も違和感だが、千島列島領有の歴史的な根拠はたかだか71年(1946年−1875年)ではないか? 今年は2024年。1946年から78年経つ。千島諸島を実効支配しているのは、言うまでもなくソ連〜ロシア。 歴史的に日本の領土?もはや、違うのではないか? どうしても北方領土を返してほしいなら、ロシアと話し合いできる環境を整えるのが道理。 今、パトリオットシステムをアメリカ帝国に返還するわけである。ウクライナ支援のためにである。あからさまなロシアへの敵対行為。 これで北方領土が返ってくると日本人が考えるなら、どうかしている。
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「領土」に関して、個人的な見解を、まずは述べておきたい。
私は「実効支配」していない「領土」に関しては、正直、領土という認識は薄い、限りなく、実効支配していない領土は「領土ではない」、という受け止め方である。
だから、そもそも北方領土問題や竹島問題に関心は薄いことを告白しておく。つまり、個人的には積極的に「返還」という問題意識はない。
ただし、これは日本について、日本人としての見解と言う観点であることは、お断りしておく。北方領土返還!を訴えている人達がいることは知っているし、敢えて足を引っ張るとか、揶揄する気はない。だが、正直、積極的に賛同するわけでもない、というカンジである。
私は領土を巡って、戦争をしてまで執着する感覚はない、そういう意味である。戦争さえしないなら、それで良い。後は野となれ山となれ、である。戦争でなく、話し合いにより「領土」が戻るなら、喜ばしいことである。
だから、日本以外の他国が領土や故郷を巡る争いは、別の次元で考えている。戦争反対、反戦平和を訴えるが、争う当事者のどちらに義があるか、それを見極めている。
さて、前置きが長く恐縮であるが、私のような「領土問題」不勉強派にとって、孫崎先生のご指摘は非常によい学びとなった。
「政府は北方領土をロシアの不法占拠としているが史実は違う。日本はポツダム宣言、降伏文書、サンフランシスコ講和条約で千島列島(国後・択捉含む)を放棄。合わせて米ロ間では、ルーズベルトがスターリンに千島の占拠を承認している。露不法占拠は悪質な史実の歪め。」
今後、私は孫崎先生の見解を踏まえて、領土問題を考えたいと思う。
孫崎先生の教えを踏まえて、ではサヨクの北方領土観はどんなものか、と興味が湧いて、日共の主張を見てみた(因みに私は新サヨクなので、日共とは違う立場)。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2001/04/post-296.html
日共によると、「歯舞、色丹と千島列島全体が日本の歴史的な領土」
私が面白いな、と思ったのは「千島列島全体が日本の歴史的な領土」という、日共の主張。千島列島全体?南千島だけでなくて?
で、その「歴史的」な根拠として、「1875年(明治8年)にロシアの首都サンクトペテルブルクで結ばれた「樺太・千島交換条約」です。この条約に よって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となったのです。」としている。
ふーん、歴史的?
だが、よく考えると、話し合い(条約)による領土化は歴史的な位置付としてよいものか?そもそも、歴史的にはアイヌ民族の故郷ではないのか?素朴な疑問が湧き起こる。
しかも、1945年に日本敗戦。そして、旧ソ連は「千島列島だけでなく、ヤルタ協定で言及されなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、戦後まもない一九四六年に、平和条約も問題にならないあいだに、千島列島と歯舞・色丹のソ連領への「編入」を一方的に強行してしまいました。」
孫崎先生の見解を踏まえると、南千島を「北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し」という点も違和感だが、千島列島領有の歴史的な根拠はたかだか71年(1946年−1875年)ではないか?
今年は2024年。1946年から78年経つ。千島諸島を実効支配しているのは、言うまでもなくソ連〜ロシア。
歴史的に日本の領土?もはや、違うのではないか?
どうしても北方領土を返してほしいなら、ロシアと話し合いできる環境を整えるのが道理。
今、パトリオットシステムをアメリカ帝国に返還するわけである。ウクライナ支援のためにである。あからさまなロシアへの敵対行為。
これで北方領土が返ってくると日本人が考えるなら、どうかしている。