中庸左派 のコメント

 いつも考えさせられるのは、ヒトによって見えている世界は全く違うんだな、ということ。それは家族であっても、親しい友人、知人であっても同じ。

 まして、世界観や政治観での見方が対立するようなことになれば、気まずい空気になったり、関係性そのものが壊れることになりかねない。

 まさにストレスの種だ。その意味で、思想やものの見方、世界観から発する批判はもろ刃の剣のようなもので、自らのストレスの原因になることも多い。

 では、いっその事、あらゆる社会、政治、経済、世界情勢からできるだけ距離を置く、或いはそうしたことに関する情報取得を最低限にして、出来るだけ目や耳を塞ぐのはどうだろうか?

 これは、実際に周囲を見渡すと、ほとんどの人はそうではないかな、と思われる。悪く言うなら、B層一般大衆、或いは半径2mくらいのことにしか関心のない人々。

 実感としては、日常生活に追われ、日常些事に関する情報以外には関心がない人達が圧倒的多数だろう。

 あそこの店がおいしい、あそこならこのポイントが貯まる、あのスーパーは何でも安い、好みの期間限定商品が発売になったからあの店に買いに行こう、等等。

 日常些事の情報も巷に溢れているし、取捨選択も忙しいし、それなりに生活しづらい、生きづらい社会の閉塞感も抱えている。

 いきおい、思想、良識、哲学、世界観を駆使して、この社会や世界を解釈しよう、などという奇特な考えには至らない。

 むべなるかな。凡庸な人生。

 要するに、批判には精神的エネルギーが必要。批判をしないほうが、精神的エネルギー消費が少なく、リスクも少ない。となれば、ヒトは易きに流れる。

 しかし、そんな世間の素描をしつつ、故に半ば諦念しつつも、戦争を止める、とか戦争を回避するには批判精神はゼッタイに必要である、と考えている。

No.5 12ヶ月前

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