11月10日付のMoon of Alabamaには、言い得て妙な記述があった。 「バイデン政権から軽く促されたネタニヤフ政権は、一日をパレスチナ人の大量虐殺に充てる20時間のブロックと民族浄化に充てる4時間のブロックに分けることに同意した。」 要するに、イスラエルの行為はパレスチナ人に対する大量虐殺と民族浄化である、ということだ。そして、アメリカ帝国はそれをシッカリ支えている。 目眩がするくらいの不正義。 冷静な目で見るなら、ともかくイスラエルが攻撃を停止する他無い。何故なら、圧倒的軍事力を背景にして、ハマスだけでなく、ガザ地区住民はなぶり殺し状態であるからだ。 しかし、イスラエルは住民避難の呼びかけにかこつけて、実質的なガザ地区からのパレスチナ住民の追い出し、空爆とその一時停止を織り交ぜた民族浄化政策を続けている。 ガザ地区住民の住む場所は?医療、生活はどうするのか?エジプトまで追い出せば、アラブ世界で適当にどうにかせよ、か? イスラエルはハマスだけを標的にして、壊滅させるとしているが、そもそもそれが果たして可能なのか、掃討作戦の巻き添えとして民間人の虐殺は既に甚大だ。 新たな憎悪を拡大再生産しているだけではないか? 私は、これは、許されないと考えている。このイスラエルによる不正義がどのように収束するのか、先は見えない。ネタニヤフも、停戦後の将来像すら見通せず、ただ、闇雲にハマス掃討に血眼になっているような印象だ。 確実に言えることは、世界の多数派は即時停戦を求めているし、イスラエルとアメリカ帝国らに非難の目を向けていることだ。しかし、問題は、それだけでは、有効な圧力になりきれていないことだ。 それにしても、数多のハマス・イスラエルの戦いに関する論評の中で、少し驚いた言説に遭遇した。 あの元外務省出身、作家・佐藤優氏の言説だ。 私はウクライナ問題での同氏の発言は比較的フォローしていて参考にしていた。経歴からいっても、含蓄があるな、みたいな印象であった。 しかし、このハマスとイスラエルの戦いに関しては、私は佐藤氏にだいぶ疑問符をつけたい。端的に言うなら、佐藤優氏はイスラエル寄りが滲んでいる。 勿論、それはそれで良い。中立もよいが、立場を鮮明にした発言こそが、その人の哲学であったり、人生観を踏まえた発言だと考えるからだ。 しかし、論理構成は大事な評価ポイントだ。 この点で、佐藤優氏のイスラエル寄りの論理に対して、私は疑問符をつけた。 https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2023/11/08/121263/ 佐藤氏は、ハマスが赤ん坊のクビを切り落とした、とか焼き殺した言うネタニヤフ側の発表を、どうやら鵜呑みにしているようだ。 まずはここに違和感である。所謂フェイク画像の氾濫は現代の常識である。実際、この画像の信義はイスラエル政府自体が、公式に認めたわけではない。 https://www.cnn.co.jp/world/35210263.html 当然、フェイク画像では?という説もある。 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/737b2ba5ae41bcad3c6dce7cb1a6184e02e3a50c この種の「残虐行為」のプロパガンダは、ロシアの特別軍事作戦にも見られた。先ずは、真偽不明というスタンスが必要ではないか? 更に佐藤氏の言説に違和感を感じるのは、ハマスの「残虐行為」は、ユダヤ人であるからという理由での攻撃、即ち属性排除であると決めつけ、ハマスはナチス・ドイツと同じである、と断罪している。 しかし、今世界世論はパレスチナ人の造反有理が基本認識であろう。ハマスの軍事力行使をパレスチナ人に対するイスラエルによる侵略植民地支配とアパルトヘイト政策への抵抗と見る受け止め方は成立する。 従って、佐藤氏の言う属性による排除という論理構成はユダヤ人がわの一方的見方に過ぎない。その延長に、ハマスに対する戦いは「テロとの戦い」と位置づけている。これはネオコンの論理と同じである。 しかしながら、佐藤氏は何故か、パレスチナ側の目線は一切無視して、言及せず、イスラエルの言い分のみをこれが真実、と言わんばかりに述べている。 戦争を考える際、何が原因か、を考えることは基本のキ、であろう。 今回のハマスとイスラエルの戦争は、イスラエルによるアルアクサモスクの襲撃、イスラエルによるヨルダン川西岸地区への侵略植民地支配、ガザ地区でのアパルトヘイト政策を考慮せずに語るべきではないだろう。 私のような素人でもわかるバランス感覚が、佐藤氏にないことが、いささか驚きであった。インテリジェンスの世界もイデオロギーや忖度が働くのだろうか?それはそれで仕方ないのかもしれないが、間違った方向に作用すると、虐殺を手助けする論陣になりかねない。
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11月10日付のMoon of Alabamaには、言い得て妙な記述があった。
「バイデン政権から軽く促されたネタニヤフ政権は、一日をパレスチナ人の大量虐殺に充てる20時間のブロックと民族浄化に充てる4時間のブロックに分けることに同意した。」
要するに、イスラエルの行為はパレスチナ人に対する大量虐殺と民族浄化である、ということだ。そして、アメリカ帝国はそれをシッカリ支えている。
目眩がするくらいの不正義。
冷静な目で見るなら、ともかくイスラエルが攻撃を停止する他無い。何故なら、圧倒的軍事力を背景にして、ハマスだけでなく、ガザ地区住民はなぶり殺し状態であるからだ。
しかし、イスラエルは住民避難の呼びかけにかこつけて、実質的なガザ地区からのパレスチナ住民の追い出し、空爆とその一時停止を織り交ぜた民族浄化政策を続けている。
ガザ地区住民の住む場所は?医療、生活はどうするのか?エジプトまで追い出せば、アラブ世界で適当にどうにかせよ、か?
イスラエルはハマスだけを標的にして、壊滅させるとしているが、そもそもそれが果たして可能なのか、掃討作戦の巻き添えとして民間人の虐殺は既に甚大だ。
新たな憎悪を拡大再生産しているだけではないか?
私は、これは、許されないと考えている。このイスラエルによる不正義がどのように収束するのか、先は見えない。ネタニヤフも、停戦後の将来像すら見通せず、ただ、闇雲にハマス掃討に血眼になっているような印象だ。
確実に言えることは、世界の多数派は即時停戦を求めているし、イスラエルとアメリカ帝国らに非難の目を向けていることだ。しかし、問題は、それだけでは、有効な圧力になりきれていないことだ。
それにしても、数多のハマス・イスラエルの戦いに関する論評の中で、少し驚いた言説に遭遇した。
あの元外務省出身、作家・佐藤優氏の言説だ。
私はウクライナ問題での同氏の発言は比較的フォローしていて参考にしていた。経歴からいっても、含蓄があるな、みたいな印象であった。
しかし、このハマスとイスラエルの戦いに関しては、私は佐藤氏にだいぶ疑問符をつけたい。端的に言うなら、佐藤優氏はイスラエル寄りが滲んでいる。
勿論、それはそれで良い。中立もよいが、立場を鮮明にした発言こそが、その人の哲学であったり、人生観を踏まえた発言だと考えるからだ。
しかし、論理構成は大事な評価ポイントだ。
この点で、佐藤優氏のイスラエル寄りの論理に対して、私は疑問符をつけた。
https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2023/11/08/121263/
佐藤氏は、ハマスが赤ん坊のクビを切り落とした、とか焼き殺した言うネタニヤフ側の発表を、どうやら鵜呑みにしているようだ。
まずはここに違和感である。所謂フェイク画像の氾濫は現代の常識である。実際、この画像の信義はイスラエル政府自体が、公式に認めたわけではない。
https://www.cnn.co.jp/world/35210263.html
当然、フェイク画像では?という説もある。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/737b2ba5ae41bcad3c6dce7cb1a6184e02e3a50c
この種の「残虐行為」のプロパガンダは、ロシアの特別軍事作戦にも見られた。先ずは、真偽不明というスタンスが必要ではないか?
更に佐藤氏の言説に違和感を感じるのは、ハマスの「残虐行為」は、ユダヤ人であるからという理由での攻撃、即ち属性排除であると決めつけ、ハマスはナチス・ドイツと同じである、と断罪している。
しかし、今世界世論はパレスチナ人の造反有理が基本認識であろう。ハマスの軍事力行使をパレスチナ人に対するイスラエルによる侵略植民地支配とアパルトヘイト政策への抵抗と見る受け止め方は成立する。
従って、佐藤氏の言う属性による排除という論理構成はユダヤ人がわの一方的見方に過ぎない。その延長に、ハマスに対する戦いは「テロとの戦い」と位置づけている。これはネオコンの論理と同じである。
しかしながら、佐藤氏は何故か、パレスチナ側の目線は一切無視して、言及せず、イスラエルの言い分のみをこれが真実、と言わんばかりに述べている。
戦争を考える際、何が原因か、を考えることは基本のキ、であろう。
今回のハマスとイスラエルの戦争は、イスラエルによるアルアクサモスクの襲撃、イスラエルによるヨルダン川西岸地区への侵略植民地支配、ガザ地区でのアパルトヘイト政策を考慮せずに語るべきではないだろう。
私のような素人でもわかるバランス感覚が、佐藤氏にないことが、いささか驚きであった。インテリジェンスの世界もイデオロギーや忖度が働くのだろうか?それはそれで仕方ないのかもしれないが、間違った方向に作用すると、虐殺を手助けする論陣になりかねない。