自宅の庭から石油でも湧き出れば、働かなくても食べていけるが、日本はそうでない。よって、「日本の研究は、もはや世界トップクラスではない」は問題だ。 世界基準で鎬を削っているところへ周囲が茶々を入れても、当事者から「素人は引っ込んでろ」と鼻であしらわれかねない。だが、係る劣化は研究分野に限らず、今日日、日本社会のあらゆる分野に共通して見られる現象だ。 昨日、某所ロビーのテレビが、そんな所でしか見ることなどない国会中継を流していた。案の定、キシダの答弁といい、空疎なやり取りに終始していた。大衆にとっては放送する意味など無いものだ。だが、その無意味な放送のために、多くの関係者が多くの時間を割かざるを得ない。山頂を目指す登山で何時までも麓を徘徊しているのと同じ状況。バカげているが、元々山頂など目指していなければ、それでいいのである。また、目指していた者も、それを妨害され続ける中に、登頂に挑むための体力も技術も身に付かない悪循環に陥る。もはや登頂するだけの力量はなくなり、「何時までも麓を徘徊させられているから、山頂を目指せないのだ」とブツクサ言い訳するも、その実、そこにしか居場所は無い。ここで「元々山頂など目指していなければ」は、とどのつまりは「米国(DS)の指示通りでよしとするならば」である。 一方、予め練りに練った研究体制を設計/構築していれば、それを実運用していく中で、不要と判断されたことは削られ、係る体制は よりスリム/シンプルになっていくだろう。しかし、初めにエエカゲンに係る体制を設計してしまうと、あれこれボロが出てくる度に行き当たりばったりで対応策を講じることになる。所謂「上野駅方式」だ。一度決まってしまったそんな対応策は、ずっと後に、もはや不要となっても残り続けてしまうのが常だ。そうして係る体制はどんどん煩雑/非効率なものとなっていく。これはまさしく孫崎さんが説かれる「日本人に『戦略』はない」そのものだ。 > 研究時間の不足を指摘した、若手研究者を対象とした以前の調査結果を裏付けるものである。 大谷選手、藤井棋士が野球そのもの、将棋そのものに とことん注力できていなければ、今の彼らはない。研究分野に彼らのような逸材が育たないのも当然ということだが、上は相当昔から「選択と集中」の掛け声だけは出し続けているでないか。だが、「上」の人間は精々コンサルから言われたことをオウム返しで「下」に命じているだけ。自ら「選択と集中」を実践して何かを成し遂げた実績など まず無いだろう。そうして、実際には「あれも これも全部やれ!」と「下」に丸投げするのだ。「下」がリソースに限りがあるなどと口答えしようものなら、「それを何とかするのがオマエの仕事だろ!」でお終いだ。それが末端まで繰り返されることになる。旧日本軍の体質と何ら変わらないトホホな状況である。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:18471112)
自宅の庭から石油でも湧き出れば、働かなくても食べていけるが、日本はそうでない。よって、「日本の研究は、もはや世界トップクラスではない」は問題だ。
世界基準で鎬を削っているところへ周囲が茶々を入れても、当事者から「素人は引っ込んでろ」と鼻であしらわれかねない。だが、係る劣化は研究分野に限らず、今日日、日本社会のあらゆる分野に共通して見られる現象だ。
昨日、某所ロビーのテレビが、そんな所でしか見ることなどない国会中継を流していた。案の定、キシダの答弁といい、空疎なやり取りに終始していた。大衆にとっては放送する意味など無いものだ。だが、その無意味な放送のために、多くの関係者が多くの時間を割かざるを得ない。山頂を目指す登山で何時までも麓を徘徊しているのと同じ状況。バカげているが、元々山頂など目指していなければ、それでいいのである。また、目指していた者も、それを妨害され続ける中に、登頂に挑むための体力も技術も身に付かない悪循環に陥る。もはや登頂するだけの力量はなくなり、「何時までも麓を徘徊させられているから、山頂を目指せないのだ」とブツクサ言い訳するも、その実、そこにしか居場所は無い。ここで「元々山頂など目指していなければ」は、とどのつまりは「米国(DS)の指示通りでよしとするならば」である。
一方、予め練りに練った研究体制を設計/構築していれば、それを実運用していく中で、不要と判断されたことは削られ、係る体制は よりスリム/シンプルになっていくだろう。しかし、初めにエエカゲンに係る体制を設計してしまうと、あれこれボロが出てくる度に行き当たりばったりで対応策を講じることになる。所謂「上野駅方式」だ。一度決まってしまったそんな対応策は、ずっと後に、もはや不要となっても残り続けてしまうのが常だ。そうして係る体制はどんどん煩雑/非効率なものとなっていく。これはまさしく孫崎さんが説かれる「日本人に『戦略』はない」そのものだ。
> 研究時間の不足を指摘した、若手研究者を対象とした以前の調査結果を裏付けるものである。
大谷選手、藤井棋士が野球そのもの、将棋そのものに とことん注力できていなければ、今の彼らはない。研究分野に彼らのような逸材が育たないのも当然ということだが、上は相当昔から「選択と集中」の掛け声だけは出し続けているでないか。だが、「上」の人間は精々コンサルから言われたことをオウム返しで「下」に命じているだけ。自ら「選択と集中」を実践して何かを成し遂げた実績など まず無いだろう。そうして、実際には「あれも これも全部やれ!」と「下」に丸投げするのだ。「下」がリソースに限りがあるなどと口答えしようものなら、「それを何とかするのがオマエの仕事だろ!」でお終いだ。それが末端まで繰り返されることになる。旧日本軍の体質と何ら変わらないトホホな状況である。