p_f のコメント

RT 10 Oct, 2023

イスラエルとパレスチナの戦争はワシントンの所為だ
https://www.rt.com/news/584557-palestine-israel-war-us-fault/

米国はパレスチナの不満を無視し続け、二国家解決の可能性を葬り去った-

ロバート・インラケシュ記
現在英国ロンドンに拠点を置く政治アナリスト、ジャーナリスト、ドキュメンタリー映像作家。パレスチナ自治区での取材・滞在経験を持つ。

ジョー・バイデン米大統領の政権は、西アジアにおける数十年に亘る米国の政策決定の失敗とともに、今日パレスチナとイスラエルで見られるような恐ろしい暴力が噴出する舞台を整えた。パレスチナの国家樹立という大義を二の次にし、その代わりにイスラエルとサウジアラビア間の象徴的な正常化協定を求めたことで、ワシントンもまた、自国の地域戦略を見落としていた。

土曜日の早朝、ハマスの武装組織カッサム旅団がイスラエルに対して前例のない軍事作戦を開始した。パレスチナの戦闘員がアシュケロンなどの都市でイスラエル人を銃殺し、軍用車両を爆破し、何百人ものイスラエル兵を殺害・捕虜にするシーンが即座にソーシャルメディアにあふれた。それは、50年以上前代未聞の奇襲攻撃だった。また、イスラエル政府、軍、諜報・安全保障サービスにとっても大失敗であり、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はガザ地区への宣戦布告を行った。

米国では、この攻撃に対する非難は全会一致かつ超党派で行われ、選出された議員たちはイスラエル人の犠牲に対する憤りを表明した。しかし、これら全ての声明において、この攻撃における米国政府の役割を認めたものは一つもなかった。ワシントンは、西側諸国の大半とともに、パレスチナ自治政府(PA)に対して17年近く制裁を課してきた。イスラエルとパレスチナが相互に承認された独立国家として並存する「二国家解決」を目指すイスラエル・パレスチナ間の和平プロセスは、20年ほど前から事実上破綻している。バラク・オバマ前米国大統領の下で、イスラエル政府に交渉を行うよう圧力をかける最後の試みは失敗に終わった。

2006年、パレスチナ占領地(OPT)で行われた立法選挙では、ハマスが地滑り的勝利を収めた。落選した米国大統領候補のヒラリー・クリントンは当時、「我々(米国)は、誰が勝つか決めるために何かするべきだった」と述べたと記録されている。米国は干渉しなかったが、米国政府はガザを制裁し、PAへの援助の流れを断ち切ることを決定した。

1979年のキャンプ・デービッド合意(エジプトとイスラエルの関係を正常化する合意)を仲介したジミー・カーター元米大統領は、当時の米国政府のアプローチについて次のように述べている: 「選挙を後援したり、世界中で民主主義や自由を推進したりするのであれば、人々が自分たちのリーダーを自分たちで決めるとき、全ての政府はその政権を承認し、彼らに政府を形成させるべきだと思う」

ワシントンはOPTでの民主的選挙に積極的に反対しただけでなく、更に一歩踏み込んで、ファタハ党のパレスチナ人に武器を提供し、それを使ってガザ内で成立したハマス政権を転覆させるクーデターを企てた。この計画は大失敗し、ハマスが血なまぐさい内戦の末にファタハをガザから追い出し、ガザを完全に占領したが、イスラエル政府はこれに全面的な軍事封鎖を課して対抗した。

No.4 14ヶ月前

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