麻生発言の背景にあるのは、「反撃能力」に関する国民的支持であろう。 過半数の国民が「反撃能力」を支持しているようだ。 https://www.asahi.com/articles/ASQDM552TQDLUZPS006.html https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2713R0X21C22A1000000/ このような世論は、B層が多数を占めるこの国では、さほど驚くには値しないのであろうが、個人的には、非論理の極みのようなことで、呆れ果て見ている。 そもそも、この軍拡政策の出発点は、ロシアによる対ウクライナ特別軍事作戦であったろう。 これを見て、隣国ロシアの「脅威」=侵略が殊更に政府、主流権威筋メディアにより喧伝された。このような「大本営発表」にコロッと騙されるのがB層であり、現代的衆愚政治の実像である。 しかし、ハナシの出発点たるロシアの行為は、「侵略」ではなく、国際法にそった集団的自衛権の行使であり、まさに特別軍事作戦であった。 つまり、ロシアの特別軍事作戦には、キチンとした理由、根拠があり、侵略ではない。 それは、ウクライナ東部の露系ウクライナ人を保護するための人道支援という側面があったわけである。局地紛争に人道的見地から軍事介入したのがロシアであり、侵略などという濡れ衣を着せて、経済制裁やウクライナへの武器支援を行うことは極めて不公正、かつ政治謀略的言い掛かりであった。 このロシアによるウクライナ侵略という間違った見方は、反撃能力装備に関する世論形成に最大限寄与した。 本来、反撃能力のような非論理的軍拡政策に対して反対するべき野党やサヨクリベラルは、ロシアによるウクライナ侵略論に無批判にやすやすと乗っかっり、付和雷同したため、反撃能力に反対する論拠を失った。 論理構成というのは、だから、極めて重要なのである。 つまり、ロシアによるウクライナ侵略を反撃能力装備の根拠にするなら、他国による「侵略」の具体例が提示されたことになる。となれば、自国を他国からの侵略から守るために軍拡をするべし、という論理展開は筋が通る一貫した論理になってしまう。 逆に、ロシアによる侵略を認めながら、自国防衛は必要ない、という論理展開は辻褄合わない非論理になってしまう。 野党やサヨクリベラルは、完全にこの「ワナ」に嵌まったのだ。 まず、我々日本人はロシアの特別軍事作戦の理由、背景を真摯に学ぶべきであったのだ。そして、事実現実に照らして、ロシアの特別軍事作戦は侵略ではい、と論理を打ち立てたなら、外交努力による停戦和平論が導きだされたはずだ。 しかし、日本人は、それをサヨクリベラルも含めて怠ったから、今日のガラクタ武器を買わされるだけの反撃能力増税を招いた。また、私は、その判断ミスの背景には、日本人の嫌露バイアスもあったのではないか、と見ている。 その意味で、B層日本人、ウクライナ応援団サヨクは、麻生流に言うなら、「ガン」であった。 また、反撃能力以前に、軍事力に関する彼我の非対称を考慮していない軍拡論議は、私は常々無意味ではないか、と考えている。 そのよい例が、ボロ負けしているウクライナ軍である。ロシアは軍事力において、圧倒的にウクライナを凌駕している。しかも、ロシアは核兵器まで保有している。国家存亡を賭けたロシアは仮に負けそうになれば、核兵器を使用する選択肢がある以上、敗北はゼッタイにない、と考えるべきだ。 https://www.moonofalabama.org/2023/06/no-such-propaganda-delusions-will-not-win-the-war.html 一方、ウクライナは敗北必至であるし、アメリカ帝国らの武器支援がなければ、既に敗北している。 従って、国家存亡をかけた核保有の軍事大国に対して、通常の国は勝てないと考えるべきだ。 従って、ウクライナがすべきだったことは、露系ウクライナ人を虐殺する内戦を止めて、ロシアと和解し、露系ウクライナ人の自治権を認めていれば、戦争にはならなかった。それをしないから、戦争になった。全てはウクライナの自業自得であった。 これを東アジアに当てはめるなら、中国や北朝鮮との国家存亡を賭けた戦争において、核兵器を持たない日本はゼッタイに勝てないのである。 だから、反撃能力自体がムダな抵抗であり、ガラクタを保有しているに過ぎない、というのが私の受け止め方である。 戦争をしなければよいだけであり、戦争をしないための選択肢は多数あるはずだ。 経済関係、外交関係、ソフトパワー等により対話を重ねて、相互理解を深める方法こそが、私は「抑止力」であると信じている。 帝国主義による植民地分割の時代が終わった現代において、ある日突然、理由もなく侵略してくる国はないと、私は断言する。戦争になるには、理由がある。その理由を摘み取ることが、当事国には問われている。 ウクライナの教訓はそれだけだ。
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麻生発言の背景にあるのは、「反撃能力」に関する国民的支持であろう。
過半数の国民が「反撃能力」を支持しているようだ。
https://www.asahi.com/articles/ASQDM552TQDLUZPS006.html
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2713R0X21C22A1000000/
このような世論は、B層が多数を占めるこの国では、さほど驚くには値しないのであろうが、個人的には、非論理の極みのようなことで、呆れ果て見ている。
そもそも、この軍拡政策の出発点は、ロシアによる対ウクライナ特別軍事作戦であったろう。
これを見て、隣国ロシアの「脅威」=侵略が殊更に政府、主流権威筋メディアにより喧伝された。このような「大本営発表」にコロッと騙されるのがB層であり、現代的衆愚政治の実像である。
しかし、ハナシの出発点たるロシアの行為は、「侵略」ではなく、国際法にそった集団的自衛権の行使であり、まさに特別軍事作戦であった。
つまり、ロシアの特別軍事作戦には、キチンとした理由、根拠があり、侵略ではない。
それは、ウクライナ東部の露系ウクライナ人を保護するための人道支援という側面があったわけである。局地紛争に人道的見地から軍事介入したのがロシアであり、侵略などという濡れ衣を着せて、経済制裁やウクライナへの武器支援を行うことは極めて不公正、かつ政治謀略的言い掛かりであった。
このロシアによるウクライナ侵略という間違った見方は、反撃能力装備に関する世論形成に最大限寄与した。
本来、反撃能力のような非論理的軍拡政策に対して反対するべき野党やサヨクリベラルは、ロシアによるウクライナ侵略論に無批判にやすやすと乗っかっり、付和雷同したため、反撃能力に反対する論拠を失った。
論理構成というのは、だから、極めて重要なのである。
つまり、ロシアによるウクライナ侵略を反撃能力装備の根拠にするなら、他国による「侵略」の具体例が提示されたことになる。となれば、自国を他国からの侵略から守るために軍拡をするべし、という論理展開は筋が通る一貫した論理になってしまう。
逆に、ロシアによる侵略を認めながら、自国防衛は必要ない、という論理展開は辻褄合わない非論理になってしまう。
野党やサヨクリベラルは、完全にこの「ワナ」に嵌まったのだ。
まず、我々日本人はロシアの特別軍事作戦の理由、背景を真摯に学ぶべきであったのだ。そして、事実現実に照らして、ロシアの特別軍事作戦は侵略ではい、と論理を打ち立てたなら、外交努力による停戦和平論が導きだされたはずだ。
しかし、日本人は、それをサヨクリベラルも含めて怠ったから、今日のガラクタ武器を買わされるだけの反撃能力増税を招いた。また、私は、その判断ミスの背景には、日本人の嫌露バイアスもあったのではないか、と見ている。
その意味で、B層日本人、ウクライナ応援団サヨクは、麻生流に言うなら、「ガン」であった。
また、反撃能力以前に、軍事力に関する彼我の非対称を考慮していない軍拡論議は、私は常々無意味ではないか、と考えている。
そのよい例が、ボロ負けしているウクライナ軍である。ロシアは軍事力において、圧倒的にウクライナを凌駕している。しかも、ロシアは核兵器まで保有している。国家存亡を賭けたロシアは仮に負けそうになれば、核兵器を使用する選択肢がある以上、敗北はゼッタイにない、と考えるべきだ。
https://www.moonofalabama.org/2023/06/no-such-propaganda-delusions-will-not-win-the-war.html
一方、ウクライナは敗北必至であるし、アメリカ帝国らの武器支援がなければ、既に敗北している。
従って、国家存亡をかけた核保有の軍事大国に対して、通常の国は勝てないと考えるべきだ。
従って、ウクライナがすべきだったことは、露系ウクライナ人を虐殺する内戦を止めて、ロシアと和解し、露系ウクライナ人の自治権を認めていれば、戦争にはならなかった。それをしないから、戦争になった。全てはウクライナの自業自得であった。
これを東アジアに当てはめるなら、中国や北朝鮮との国家存亡を賭けた戦争において、核兵器を持たない日本はゼッタイに勝てないのである。
だから、反撃能力自体がムダな抵抗であり、ガラクタを保有しているに過ぎない、というのが私の受け止め方である。
戦争をしなければよいだけであり、戦争をしないための選択肢は多数あるはずだ。
経済関係、外交関係、ソフトパワー等により対話を重ねて、相互理解を深める方法こそが、私は「抑止力」であると信じている。
帝国主義による植民地分割の時代が終わった現代において、ある日突然、理由もなく侵略してくる国はないと、私は断言する。戦争になるには、理由がある。その理由を摘み取ることが、当事国には問われている。
ウクライナの教訓はそれだけだ。