由らしむべし知らしむべからずというように、支配には細かいハナシの説明は必要ない。支配者にとっては、ナゼもドウシテも、ドウアルベキも考えなくてヨロシイ、ということがホンネであろう。 だから、政治のウラや世界の成り立ちの細部を解釈しようとすれば、支配者からは「陰謀論」と決めつけて、そうした思考様式を排除する必要性がある。 支配と非支配という関係性においては、支配層側からすれば、一方通行のほうが良く、相互コミュニケーションとか双方向性みたいなものは排除したほうが良い。当たり前の話。 では、「由らしむべし知らしむべからず」を本旨とする政府がゼッタイ、正しいか? そんなわけがない。正しいと考える人間は、タダ、お目出度いだけ。 従って、「由らしむべし知らしむべからず」が政府の本質なら、陰謀は確実にある。政府はウソをつく。「正しい」か、どうかは支配の正当性には関係ないからだ。 だから、「陰謀」は確実にある。陰謀論を否定するということは、無意味なウソ。そもそも、神ならぬ被支配者たる我々は、「全てを知る」ことなど不可能だ。 その意味では、我々の社会は、「陰謀論」によって成り立っていると言っても過言ではない。 我々は、よく半径2〜3mのことにしか関心がない、みたいな視野の狭さを嘆いてみたりすることがある。実際、そうとしか思えないヤカラを、経験的に知っている。例えば、B層とか。 にも関わらず、我々は訳知り顔で、何故か「陰謀論」を否定するのである。 また、「陰謀論」が「確実に存在する」のは、CIAやMI6といった謀略機関がある以上、論理的帰結だ。 ともかく、我々は世界を解釈しようとするなら、未知なるものへの論理と想像力を働かせるしかない。そして、それ自体が「陰謀論」となる。 一方、半径2〜3mくらいしか知らないB層は、断固として「陰謀論」を否定するのだろう。それは、論理も想像力もないからだ。 従って、B層になりたくないなら、「陰謀論者」で良い。「陰謀論者」になってやる、そんかふうに、今は個人的には考えている。 それにしても、木原のカミさんのことを報じない主流権威筋メディアはなんなのか?存在意義はあるのか?この事件を報じないことは、この社会の腐敗ぶりを示している。 主流権威筋メディアは、木原の件も、陰謀論というのではないか?
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孫崎享チャンネル
(ID:119568177)
由らしむべし知らしむべからずというように、支配には細かいハナシの説明は必要ない。支配者にとっては、ナゼもドウシテも、ドウアルベキも考えなくてヨロシイ、ということがホンネであろう。
だから、政治のウラや世界の成り立ちの細部を解釈しようとすれば、支配者からは「陰謀論」と決めつけて、そうした思考様式を排除する必要性がある。
支配と非支配という関係性においては、支配層側からすれば、一方通行のほうが良く、相互コミュニケーションとか双方向性みたいなものは排除したほうが良い。当たり前の話。
では、「由らしむべし知らしむべからず」を本旨とする政府がゼッタイ、正しいか?
そんなわけがない。正しいと考える人間は、タダ、お目出度いだけ。
従って、「由らしむべし知らしむべからず」が政府の本質なら、陰謀は確実にある。政府はウソをつく。「正しい」か、どうかは支配の正当性には関係ないからだ。
だから、「陰謀」は確実にある。陰謀論を否定するということは、無意味なウソ。そもそも、神ならぬ被支配者たる我々は、「全てを知る」ことなど不可能だ。
その意味では、我々の社会は、「陰謀論」によって成り立っていると言っても過言ではない。
我々は、よく半径2〜3mのことにしか関心がない、みたいな視野の狭さを嘆いてみたりすることがある。実際、そうとしか思えないヤカラを、経験的に知っている。例えば、B層とか。
にも関わらず、我々は訳知り顔で、何故か「陰謀論」を否定するのである。
また、「陰謀論」が「確実に存在する」のは、CIAやMI6といった謀略機関がある以上、論理的帰結だ。
ともかく、我々は世界を解釈しようとするなら、未知なるものへの論理と想像力を働かせるしかない。そして、それ自体が「陰謀論」となる。
一方、半径2〜3mくらいしか知らないB層は、断固として「陰謀論」を否定するのだろう。それは、論理も想像力もないからだ。
従って、B層になりたくないなら、「陰謀論者」で良い。「陰謀論者」になってやる、そんかふうに、今は個人的には考えている。
それにしても、木原のカミさんのことを報じない主流権威筋メディアはなんなのか?存在意義はあるのか?この事件を報じないことは、この社会の腐敗ぶりを示している。
主流権威筋メディアは、木原の件も、陰謀論というのではないか?