>身を守るためには、受け取った情報をうのみにするのではなく、意識的にさまざまな分野や媒体の情報に触れ、情報の正確性を吟味するといったメディアリテラシーが必要になる。 「受け取った情報」。 まずは、その情報の質が問題となる。 次に情報の受けての思考力や他情報の収集能力が問題となる。 情報の質と受け手の能力がシッカリ一定水準を超えていないと、情報化社会におけるメディアの機能は不十分どころか、社会を歪めるだけだろう。 情報の質という観点から、安倍暗殺事件を考察すると、この産経の記事のように、警察の司法解剖による見解しか取り上げないなら、事実を隠蔽している。ということは、確実に言える。 奈良県立医大の医師の見解と、警察の見解が食い違っているのは事実だ。 事実を正確に伝えないメディア、この場合産経だが、情報の質として落第だ。 一方、「意識的にさまざまな分野や媒体の情報に触れ、情報の正確性を吟味する」ことが大事なら、産経のような事実を隠蔽する記事を鵜呑みにせず、インターネットを通じて、様々な情報を収集し、自分の頭で答えを出す人は正しい姿勢と言えよう。 上記の視点でいうなら、事実を隠蔽して報道する産経は悪質な報道機関であり、インターネット等を駆使して情報を集めて答えをだすことは、「陰謀論」でもなんでもなくて、正しいリテラシーである。 産経の記事が非論理なのは、正しいリテラシーを有する人達を「陰謀論」と決めつけていることだ。 産経は公的機関の公式発表が「正しい」という大前提に立っているのだろう。 だが、歴史を学べば、公式発表がウソだらけであること言うまでもない。だから、「大本営発表」は、主流権威筋メディアへの揶揄として有効なのだ。 公式発表が正しいという思考停止がある限り、「陰謀論」はなくならないだろう。権力者や公的機関の公式発表を鵜呑みにする情報の受け手、即ちB層が社会の多数派である限り、「陰謀論」をキチンと受け止めて検証することがメディアリテラシーだ。 権力者や主流権威筋メディアによる公式発表こそ「大本営発表」である。 我々の採るべき道は、「陰謀論」を批判する主流権威筋メディアに対して、「大本営発表」をやめろ!と倦むことなく、抗議、抵抗するだけだ。 そして、情報の受け手として、B層になってはならず、自分で調べて考える、それが大事だ。 因みに、私はコロナ禍のウソを見抜いてきたと自負しているし、ワクチン否定論者である。しかも露宇戦争では、「親ロ派」である。主流権威筋メディアからすれば、立派な「陰謀論」者であろう。 しかし、私は家族を守り、コロナ禍を生き抜いたのは事実である。私には、接種後死亡や、接種後の免疫不全やワクチン後遺症の心配は一切ない。心の平安である。 また、ロシアの特別軍事作戦において、ウクライナが反攻に失敗し、ボロ負けしているのは事実である。だから、ウクライナは降伏するべきだというのは論理的結論だと考えている。 このように、事実現実の認識を間違うことがなければ、家族を守ることは出来るし、物事を正しく評価判定できる。だから、公式発表を鵜呑みするB層と距離を置き、付和雷同しないことも、メディアリテラシーなのだろう。 その意味で、B層とは違う「陰謀論」に立つことこそ、情報化社会に必要な資質ではないか? 私はそんなふうに開き直って、自負している。
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(ID:119568177)
>身を守るためには、受け取った情報をうのみにするのではなく、意識的にさまざまな分野や媒体の情報に触れ、情報の正確性を吟味するといったメディアリテラシーが必要になる。
「受け取った情報」。
まずは、その情報の質が問題となる。
次に情報の受けての思考力や他情報の収集能力が問題となる。
情報の質と受け手の能力がシッカリ一定水準を超えていないと、情報化社会におけるメディアの機能は不十分どころか、社会を歪めるだけだろう。
情報の質という観点から、安倍暗殺事件を考察すると、この産経の記事のように、警察の司法解剖による見解しか取り上げないなら、事実を隠蔽している。ということは、確実に言える。
奈良県立医大の医師の見解と、警察の見解が食い違っているのは事実だ。
事実を正確に伝えないメディア、この場合産経だが、情報の質として落第だ。
一方、「意識的にさまざまな分野や媒体の情報に触れ、情報の正確性を吟味する」ことが大事なら、産経のような事実を隠蔽する記事を鵜呑みにせず、インターネットを通じて、様々な情報を収集し、自分の頭で答えを出す人は正しい姿勢と言えよう。
上記の視点でいうなら、事実を隠蔽して報道する産経は悪質な報道機関であり、インターネット等を駆使して情報を集めて答えをだすことは、「陰謀論」でもなんでもなくて、正しいリテラシーである。
産経の記事が非論理なのは、正しいリテラシーを有する人達を「陰謀論」と決めつけていることだ。
産経は公的機関の公式発表が「正しい」という大前提に立っているのだろう。
だが、歴史を学べば、公式発表がウソだらけであること言うまでもない。だから、「大本営発表」は、主流権威筋メディアへの揶揄として有効なのだ。
公式発表が正しいという思考停止がある限り、「陰謀論」はなくならないだろう。権力者や公的機関の公式発表を鵜呑みにする情報の受け手、即ちB層が社会の多数派である限り、「陰謀論」をキチンと受け止めて検証することがメディアリテラシーだ。
権力者や主流権威筋メディアによる公式発表こそ「大本営発表」である。
我々の採るべき道は、「陰謀論」を批判する主流権威筋メディアに対して、「大本営発表」をやめろ!と倦むことなく、抗議、抵抗するだけだ。
そして、情報の受け手として、B層になってはならず、自分で調べて考える、それが大事だ。
因みに、私はコロナ禍のウソを見抜いてきたと自負しているし、ワクチン否定論者である。しかも露宇戦争では、「親ロ派」である。主流権威筋メディアからすれば、立派な「陰謀論」者であろう。
しかし、私は家族を守り、コロナ禍を生き抜いたのは事実である。私には、接種後死亡や、接種後の免疫不全やワクチン後遺症の心配は一切ない。心の平安である。
また、ロシアの特別軍事作戦において、ウクライナが反攻に失敗し、ボロ負けしているのは事実である。だから、ウクライナは降伏するべきだというのは論理的結論だと考えている。
このように、事実現実の認識を間違うことがなければ、家族を守ることは出来るし、物事を正しく評価判定できる。だから、公式発表を鵜呑みするB層と距離を置き、付和雷同しないことも、メディアリテラシーなのだろう。
その意味で、B層とは違う「陰謀論」に立つことこそ、情報化社会に必要な資質ではないか?
私はそんなふうに開き直って、自負している。