妄想の万年中年 のコメント

>>7
1960年代後半、アメリカは情報・金融の分野での世界制覇には、コンピューターの高性能化と半導体のLSI化が必須と考えていた。またムーアの3年で4倍の高密度化LSIを達成するのに最適な半導体は、DRAMと決め開発を行った。
当時、物まね上手な日本がコンピュータ業界の再編やDRAM開発を、経産省の補助を得て行っていることには、あまり関心が無かったと思われる。
しかし、1970年代後半になると、アメリカでは遅々として進まない半導体の大容量化微細化が、日本では優秀な作業員のもとで、めざましい発展を遂げていた。
製造ラインのコンピューター化・ロボット化及び冷戦の終結の目処がつく1980年代中旬以降に、沈黙を守っていたアメリカによる日本半導体たたきが始まった。
米企業及び米系日本子会社を介して技術の海外移転(韓国・台湾・シンガポール・欧州)を促進するとともに、特許紛争、FMVなどを使って日本半導体企業の競争力低下を図った。
プラザ合意による円高及びマスゴミが煽った製造業の海外移転ブームが、1990年代に起こり、日本企業自身による技術の海外移転が加速した。
とどめを刺したのが、半導体技術開発の飽和が見えてきた1990年代後半に各国で行われた半導体産業の選択と集中が、日本では全く行われなかったことである。
通産省は、サムソン電子のようにソニーとパナソニックの2系列に、又TSMCのように日立と東芝の製造部門を統合しようとした形跡は見られるが、残念ながら現実には何も起こらず、経営が不安定なDRAM部門だけ切り離したエルピーダができ、その他のロジック部門でルネサスを作るといった、全く戦略性の無い日本半導体業界再編が行われた。無能な政府と官僚による結果ではあるが、その背後にアメリカによる日本つぶしの圧力があったかどうかは不明である。このような無能な政府を選んだ日本国民の愚かさが一番の原因かもしれない。

No.16 18ヶ月前

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