> 多くの人にとっては過去の歴史となっている。 かつて国文学者・小森陽一氏が「記憶こそが庶民の武器」と語っておられた。現実は、三歩歩く毎に その前の事を忘れる「ニワトリ脳」だらけということだろう。 過去、砂川事件に言及されたブログ記事も少なくない。以下も その一つである- 2013/04/09 ■「司法権の独立揺るがす」資料見つかる(伊達判決をめぐり最高裁長官と米側の接触) 「裁判所、お前もか」と言われることが起こりました。 8日、NHKニュースは次の報道を行っています。 <昭和32年にアメリカ軍基地を巡って起きたいわゆる「砂川事件」の裁判で、「アメリカ軍の駐留は憲法違反」と判断した1審の判決のあとに当時の最高裁判所の長官がアメリカ側に1審の取り消しを示唆したとする新たな文書が見つかりました。 研究者は、司法権の独立を揺るがす動きがあったことを示す資料として注目しています。 「砂川事件」は、昭和32年7月、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り、学生ら7人が起訴されたもので、1審の東京地方裁判所は、「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」として7人全員に無罪を言い渡しました(注:伊達判決)。 1審の9か月後、最高裁判所大法廷は、「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の対象外だ」として15人の裁判官の全員一致で1審判決を取り消しました。 今回見つかった文書は、最高裁判決の4か月前の昭和34年8月、アメリカ大使館から国務長官宛てに送られた公電です。 元大学教授の布川玲子さんがアメリカの国立公文書館に請求して初めて開示されました。 文書には、当時の最高裁の田中耕太郎長官が最高裁での審理が始まる前にレンハート駐日首席公使と非公式に行った会談の内容が記されています。 この中で田中長官は、「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」などと語り、全員一致で1審判決を取り消すことを示唆していました。 文書には、田中長官の発言に対するアメリカ大使館の見解として、「最高裁が1審の違憲判決を覆せば、安保条約への日本の世論の支持は決定的になるだろう」というコメントも書かれていました。 会談当時は、日米両政府の間で、安保条約の改定に向けた交渉が行われている最中で、アメリカ軍の駐留を違憲とした1審判決に対する最高裁の判断が注目されていました。 文書を分析した布川さんは、「最高裁長官が司法権の独立を揺るがすような行動を取っていたことに非常に驚いている。安保改定の裏で、司法の政治的な動きがあったことを示す資料として注目される」と話しています。> ”砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連の米国務省最新開示文書の公開について”の布川玲子と新原昭治のプレス・リリーフに、私の次のコメントが添付されています。 私は『戦後史の正体』中で日本の立法府、行政府に対して米国が多大の影響を及ぼしてきたのを見てきたが、多くの人はまさか司法にまで影響が出ていたとは思っていないであろう。しかし、事実は異なり、最高裁で米軍駐留を違憲とする「伊達判決」をめぐり、当時の田中最高裁長官とマッカーサー大使との会談が知られていた。今回はこれに加え田中最高裁長官と在日米国大使館首席公使との対談内容が明らかにされた。如何に密接な協議が最高裁長官と米国の間で重ねてきたかを示している。日本の対米従属の実態を知る上で貴重な第一次資料となる。」 司法が米国に操られる、これは大変なことです。 しかし、日米安保体制をみれば実は、それはそう意外なことではありません。 日米地位協定に次の記述があります。 「第一次の権利を有する国の当局は、他方の国がその権利の放棄を特に重要であると認めた場合において、その他方の国の当局から要請があったときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない」 つまり、日米関係においては、裁判は厳格に中立性と公平を追求する者ではないのです。 「他方の国(米国)から要請があったときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない」のです。 そう見れば、今回の資料は意外ではなく、「他方の国(米国)から要請があったときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない」で日本政府が対応している一つの事例であると言えます。
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> 多くの人にとっては過去の歴史となっている。
かつて国文学者・小森陽一氏が「記憶こそが庶民の武器」と語っておられた。現実は、三歩歩く毎に その前の事を忘れる「ニワトリ脳」だらけということだろう。
過去、砂川事件に言及されたブログ記事も少なくない。以下も その一つである-
2013/04/09
■「司法権の独立揺るがす」資料見つかる(伊達判決をめぐり最高裁長官と米側の接触)
「裁判所、お前もか」と言われることが起こりました。
8日、NHKニュースは次の報道を行っています。
<昭和32年にアメリカ軍基地を巡って起きたいわゆる「砂川事件」の裁判で、「アメリカ軍の駐留は憲法違反」と判断した1審の判決のあとに当時の最高裁判所の長官がアメリカ側に1審の取り消しを示唆したとする新たな文書が見つかりました。
研究者は、司法権の独立を揺るがす動きがあったことを示す資料として注目しています。
「砂川事件」は、昭和32年7月、東京のアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画に反対したデモ隊が基地に立ち入り、学生ら7人が起訴されたもので、1審の東京地方裁判所は、「アメリカ軍の駐留は戦力の保持を禁じた憲法9条に違反する」として7人全員に無罪を言い渡しました(注:伊達判決)。
1審の9か月後、最高裁判所大法廷は、「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の対象外だ」として15人の裁判官の全員一致で1審判決を取り消しました。
今回見つかった文書は、最高裁判決の4か月前の昭和34年8月、アメリカ大使館から国務長官宛てに送られた公電です。
元大学教授の布川玲子さんがアメリカの国立公文書館に請求して初めて開示されました。
文書には、当時の最高裁の田中耕太郎長官が最高裁での審理が始まる前にレンハート駐日首席公使と非公式に行った会談の内容が記されています。
この中で田中長官は、「裁判官の意見が全員一致になるようにまとめ、世論を不安定にする少数意見を回避する」などと語り、全員一致で1審判決を取り消すことを示唆していました。
文書には、田中長官の発言に対するアメリカ大使館の見解として、「最高裁が1審の違憲判決を覆せば、安保条約への日本の世論の支持は決定的になるだろう」というコメントも書かれていました。
会談当時は、日米両政府の間で、安保条約の改定に向けた交渉が行われている最中で、アメリカ軍の駐留を違憲とした1審判決に対する最高裁の判断が注目されていました。
文書を分析した布川さんは、「最高裁長官が司法権の独立を揺るがすような行動を取っていたことに非常に驚いている。安保改定の裏で、司法の政治的な動きがあったことを示す資料として注目される」と話しています。>
”砂川事件「伊達判決」と田中耕太郎最高裁長官関連の米国務省最新開示文書の公開について”の布川玲子と新原昭治のプレス・リリーフに、私の次のコメントが添付されています。
私は『戦後史の正体』中で日本の立法府、行政府に対して米国が多大の影響を及ぼしてきたのを見てきたが、多くの人はまさか司法にまで影響が出ていたとは思っていないであろう。しかし、事実は異なり、最高裁で米軍駐留を違憲とする「伊達判決」をめぐり、当時の田中最高裁長官とマッカーサー大使との会談が知られていた。今回はこれに加え田中最高裁長官と在日米国大使館首席公使との対談内容が明らかにされた。如何に密接な協議が最高裁長官と米国の間で重ねてきたかを示している。日本の対米従属の実態を知る上で貴重な第一次資料となる。」
司法が米国に操られる、これは大変なことです。
しかし、日米安保体制をみれば実は、それはそう意外なことではありません。
日米地位協定に次の記述があります。
「第一次の権利を有する国の当局は、他方の国がその権利の放棄を特に重要であると認めた場合において、その他方の国の当局から要請があったときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない」
つまり、日米関係においては、裁判は厳格に中立性と公平を追求する者ではないのです。
「他方の国(米国)から要請があったときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない」のです。
そう見れば、今回の資料は意外ではなく、「他方の国(米国)から要請があったときは、その要請に好意的考慮を払わなければならない」で日本政府が対応している一つの事例であると言えます。