中庸左派 のコメント

>発展途上国が植民地主義と西側の支配に反対した冷戦中に栄えた非同盟運動とは異なり、専門家は、今日の共通のイデオロギーの方法はほとんどなく、この偉大な道を歩もうとしている国々の間に明確な忠誠はないと述べている。

 この文章は、所謂「グローバルサウス」という言葉は使用していないが、この概念に関するものと解釈して良いだろう。  

 この間、BRICs諸国やインド等が、アメリカ帝国による覇権支配のクビキを断ち切り、多極世界への歩みを始めたと考えている。その象徴がロシアによるウクライナに対する特別軍事作戦であったと考えている。

 このため、BRICs諸国やグローバルサウスが自立的に行動する多極世界において、日本はどんな立ち位置や他国との関係性の構築を目指すのか、まさに問われていると考えている。

 その点から見るところ、日本はまだまだ、アメリカ帝国の一極覇権における属国目線を抜け出ていないのではないか?と思われる。

https://agora-web.jp/archives/230430111850.html

 例えば、上記、篠田氏の見解。篠田氏は「「G7議長国がグローバル・サウスを取り込めるか?」キャンペーン」に対して、「正直、乗り切れないものを感じる。理由は二つある。日本国内の「G7」の理解の仕方に違和感がある。そして日本国内の「グローバル・サウス」の理解に違和感がある。」

 篠田氏はグローバルサウス自体、否定的なようだ。

 さらに篠田氏は言う。「私自身はすでに『現代ビジネス』への寄稿文などによって指摘しているのだが、「グローバル・サウス」のようなイデオロギーがかった概念を、その含意や受け止められ方が不確定な中で使い続けることは、火遊びに近い。やめておいたほうが得策だ。」

 グローバルサウスは「イデオロギーがかった概念」?

 今回、孫崎先生が提起された論考とは真逆の評価である。

 篠田氏によると、「G7の自己定義は、すでに価値観の重視のほうに移ってきている。つまり「法の支配、民主主義、人権」などの基本的価値観を共有する諸国の地域横断的なフォーラムとしてのG7が、構成諸国自らによるG7の定義である。」としている。

 とはいえ、G7が僭称する「法の支配、民主主義、人権」というフレーズ自体、多分にイデオロギーを漂わせており、アメリカ帝国によりご都合主義的に利用されているだけではないか?

 むしろ、「法の支配、民主主義、人権」というイデオロギー概念がもはや、旧式の古臭い概念として、打ち捨てられようとしているのではないか?何故なら、アメリカ帝国の押し付けるご都合主義的ルールに過ぎないのだから。

 多極世界は、多様な価値観を認め合うことが出発点だろう。

 一方、毎日、今年、3月22日社説「ウクライナ侵攻1年 正念場の日本外交 国際秩序の回復に尽力を」はグローバルサウスを認めつつ、「ロシアに強い態度を取る日米欧、それに反対する中国とロシア、どちらの陣営にもくみしたくないグローバルサウスという「三極化」構造があらわになっている。」と、世界の現実を、とりあえずは受け入れているようである。

 しかし、同時に「懸念される世界三極化」としている。

https://mainichi.jp/articles/20230322/ddm/005/070/102000c

 そもそも多極世界は、そんなに懸念するべきものであろうか?アメリカ帝国の一極支配を脱するチャンスではないのだろうか?

 いずれにせよ、毎日社説は世界の現実を踏まえて、「法の支配の原則を唱える上で、日米欧と中露のどちらの陣営を選ぶか、途上国に「踏み絵」を迫るようなことはすべきでない。できるだけ多くの国々を巻き込んで共有できるルールを広げていく必要がある。」としているが、この姿勢は穏当だと考える。

 さらに毎日社説では、「バイデン米大統領は、日米欧と中露を念頭に「民主主義と専制主義の戦い」を強調する。確かに民主主義や人権は普遍的な価値だ。だが、発展途上にある国々にとって、性急に求められても対応は難しい。」と各国の事情を尊重することが大事だと、説いている。

 私としては、もはや「民主主義と専制主義の戦い」という思考様式そのものを疑うべき時代に入ったのではないか?そんなふうに考えている。

 篠田氏にしろ、毎日社説にしろ、今世界で進行している潮流、趨勢を受け止めきれていない、という点は同じだろう。現実を直視することは、基本中の基本だと考えるが、今後の言論状況がどう変わるのか、変わらないのか、注目している。

No.4 20ヶ月前

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