世界の株式時価総額ランキング上位を日本の銀行が占めていた1989年から30余年経って すっかり様変わりだ。中国は日本がやられた原因の分析、対策検討も周到に行ってきたのでないか。以下、中尾茂夫著「世界マネーの内幕」/2022よりー 日本を覆う情報空間がどうしても、視野狭窄に陥りやすいのは...多角的な国際情報分析に弱いからではないか...相手はこちらの情報を知るが、こちらは相手の情報が何もない。これでは、二国間関係では、そもそも対等な外交交渉は成り立たない。情報によって、国際政治力学が大きく動き、その結果がマネーを動かすのである... 見逃されがちだが、ボルカーがFRB議長職にいた一九八四年当時、日本にとって重大なルールの変更が動き出していた。自己資本比率ルールがそれだ。歴史家のアダム・トゥーズによれば...「比較的堅実な銀行が、充分な資本を持たない競合相手、特に日本の銀行から駆逐されるのを防ぐのが狙いだった」と記す。 この自己資本比率規制を創設した理由が、邦銀の勢いを削ぐのが目的だったと知って暗然たる気分にならない日本人はいないだろう。日本側に、それに対する情報や、「なぜ?」という疑問、あるいは抵抗などはなかったのだろうか。米国にしてやられた気分は否めない。日本側に、自己資本を重要だと考える思考はなかったように思うからである... ボルカー自身、このころの業界の空気を振り返ってこう言う。「日本の巨大銀行は総資産に比べた自己資本の比率が際立って小さかった。……一部の米銀や監督機関は規制実現を支持した。彼らは日本のライバルたちが少ない自己資本のままで「アンフェアな」競争を試みていると警戒していた」... 「金融工学の魔術によってリスクが何とかして分散、 軽減されるのだという錯覚」...を楽観視したまま野放しにするのか(ウォール街多数派)、それとも、当該リスクを遮断する法的規制に乗り出すのか(ボルカー派)、という選択肢が突き付けられたのである... ボルカーはボルカー・ルールという理念を示しつつも、その政策実現はなかなか困難だった。換言すれば、ウォール街には、「金融工学の魔術」を信奉する勢力のほうが上回ったということである... ヨーロッパとは何か。二一世紀初頭、金融のグローバリゼーションというとき、多くがその中心をニューヨーク・ウォール街だと思ったに違いない。だが、その基軸には、ヨーロッパから米国へ、米国からヨーロッパへのマネーフローがあり、その米ドル建て資金調達の拠点にロンドンがあったことを忘れてはならない。 つまり、「ロンドンのユーロ・ドルロ座を経由するオフショア・マネーの流れ」が基軸を占め、「グローバル通貨としてのドルの拠り所は、ウォール・ストリートとロンドンのシティの結びつきによって出来あがったプライベート、バンキングや金融市場のネットワークだ」という構造である。 中国との相違はここにある。中国のマネーフローに注目すれば、当然、財輸出で膨大な貿易収支黒字を稼ぐオフショア・アセンブリー(在外組立生産)による生産の結果、中国の対米投資が増し、中国の米国債投資を始めとするチャイナマネーの大きい存在感が浮かぶ。
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世界の株式時価総額ランキング上位を日本の銀行が占めていた1989年から30余年経って すっかり様変わりだ。中国は日本がやられた原因の分析、対策検討も周到に行ってきたのでないか。以下、中尾茂夫著「世界マネーの内幕」/2022よりー
日本を覆う情報空間がどうしても、視野狭窄に陥りやすいのは...多角的な国際情報分析に弱いからではないか...相手はこちらの情報を知るが、こちらは相手の情報が何もない。これでは、二国間関係では、そもそも対等な外交交渉は成り立たない。情報によって、国際政治力学が大きく動き、その結果がマネーを動かすのである...
見逃されがちだが、ボルカーがFRB議長職にいた一九八四年当時、日本にとって重大なルールの変更が動き出していた。自己資本比率ルールがそれだ。歴史家のアダム・トゥーズによれば...「比較的堅実な銀行が、充分な資本を持たない競合相手、特に日本の銀行から駆逐されるのを防ぐのが狙いだった」と記す。
この自己資本比率規制を創設した理由が、邦銀の勢いを削ぐのが目的だったと知って暗然たる気分にならない日本人はいないだろう。日本側に、それに対する情報や、「なぜ?」という疑問、あるいは抵抗などはなかったのだろうか。米国にしてやられた気分は否めない。日本側に、自己資本を重要だと考える思考はなかったように思うからである...
ボルカー自身、このころの業界の空気を振り返ってこう言う。「日本の巨大銀行は総資産に比べた自己資本の比率が際立って小さかった。……一部の米銀や監督機関は規制実現を支持した。彼らは日本のライバルたちが少ない自己資本のままで「アンフェアな」競争を試みていると警戒していた」...
「金融工学の魔術によってリスクが何とかして分散、 軽減されるのだという錯覚」...を楽観視したまま野放しにするのか(ウォール街多数派)、それとも、当該リスクを遮断する法的規制に乗り出すのか(ボルカー派)、という選択肢が突き付けられたのである...
ボルカーはボルカー・ルールという理念を示しつつも、その政策実現はなかなか困難だった。換言すれば、ウォール街には、「金融工学の魔術」を信奉する勢力のほうが上回ったということである...
ヨーロッパとは何か。二一世紀初頭、金融のグローバリゼーションというとき、多くがその中心をニューヨーク・ウォール街だと思ったに違いない。だが、その基軸には、ヨーロッパから米国へ、米国からヨーロッパへのマネーフローがあり、その米ドル建て資金調達の拠点にロンドンがあったことを忘れてはならない。
つまり、「ロンドンのユーロ・ドルロ座を経由するオフショア・マネーの流れ」が基軸を占め、「グローバル通貨としてのドルの拠り所は、ウォール・ストリートとロンドンのシティの結びつきによって出来あがったプライベート、バンキングや金融市場のネットワークだ」という構造である。
中国との相違はここにある。中国のマネーフローに注目すれば、当然、財輸出で膨大な貿易収支黒字を稼ぐオフショア・アセンブリー(在外組立生産)による生産の結果、中国の対米投資が増し、中国の米国債投資を始めとするチャイナマネーの大きい存在感が浮かぶ。