今西理論に限らず、自然科学を比喩的に社会科学的主張に応用するような言説は昔からあるとおもうが、大学のときにデリダかぶれの友人とよく話していたソーカル事件のことを知ると、そういう言説はつつしんだほうがいいとおもっている。どうとでも自分の好む社会科学的な結論を導けるような比喩を自然科学からもってくるのは(その本人の意図に反して)馬鹿に見えることがあるし、所詮は比喩だ。 たとえば今西理論をもとに、「だからロシアと米はすみわけるべきだ」ともいえるが、今西が「進化とは、この棲み分けの密度が高くなることである」と言うことに従って、「ロシアとウクライナとはすみわけるべきだ」ともいえる。 今西理論そのものは、日本で発展しなかったのは残念だが、欧米で自然科学として発展しているのを孫崎さんの記事で知れて、うれしい。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
今西理論に限らず、自然科学を比喩的に社会科学的主張に応用するような言説は昔からあるとおもうが、大学のときにデリダかぶれの友人とよく話していたソーカル事件のことを知ると、そういう言説はつつしんだほうがいいとおもっている。どうとでも自分の好む社会科学的な結論を導けるような比喩を自然科学からもってくるのは(その本人の意図に反して)馬鹿に見えることがあるし、所詮は比喩だ。
たとえば今西理論をもとに、「だからロシアと米はすみわけるべきだ」ともいえるが、今西が「進化とは、この棲み分けの密度が高くなることである」と言うことに従って、「ロシアとウクライナとはすみわけるべきだ」ともいえる。
今西理論そのものは、日本で発展しなかったのは残念だが、欧米で自然科学として発展しているのを孫崎さんの記事で知れて、うれしい。