>ウクライナの軍事力の質は、かつてはロシアに対して実質的な優位性があると考えられていた この認識からして、首を傾げてしまう。 >ロシアの20万人に対し、ウクライナ側は12万人と推定している。 Moon of Alabamaによる評価は真逆だ。「ウクライナの損失は、100,000 人の死亡者よりも 200,000 人に近く、さらに多くの負傷者がいると推定されており、特に下位の指揮レベルで感じられます。通りからセールスマンや教師を連れてきて、彼らを下級指揮官の役割に置くことはできません。」 https://www.moonofalabama.org/ >現状のウクライナに不利な状況を西側の武器供与によって変えられるのか。ウクライナの高官は匿名で、西側の約束は象徴的なものに過ぎないと述べた。 兵士、武器、弾薬全てが不足して、重要な補給路まで絶たれようとしている中で、それでも戦争を続けることの意味はなんなのだろうか? >侵略が始まったとき、ウクライナ人は兵役に志願するために殺到したが、今では、国中の登録していない男性が路上で徴兵票を渡されることを恐れ始めている。ウクライナの内部セキュリティ サービスは最近、当局が召喚状を配布している場所をウクライナ人が回避するのに役立っていた Telegram アカウントを閉鎖した。 戦争に参加したくない人は当然いる。家族を戦場に送りたくない人々も確実にいる。それなのに、無理矢理戦争をさせている。それを仕向けているのは、アメリカ帝国等西側NATOであり、ウクライナ応援団だ。罪深いことだ。 次のコメントはMoon of Alabamaがwapoの記事の引用としてウクライナ軍のクポル中佐の言葉を引いている。曰く、「「奇跡には常に信念があります」と彼は言いました。「それは虐殺と死体になるか、それともプロの反撃になるかのどちらかです。2 つのオプションがあります。いずれにせよ、反撃があるでしょう。」」 これでは、竹槍でB29を迎撃するかの精神論ではないか? 私はこのような悲惨な戦争を一刻も早く止めるべきだ、と当初から発言してきた。しかるに、日本の主流権威筋メディアやリベラル勢力、更にはあろうことか、反戦派までもが、ウクライナ聖戦という架空の物語を妄信し、武器支援を肯定し、戦争継続を支援してきた。 ここで、その証拠としてあるリベラルを自認していた元教授(法哲学)の言説を記しておきたい。以下は同氏の著作からの引用である。 「自らを助くる者を助けよ。過去20年間の教訓が、自らのために戦おうとしない者たちの自由のために我々は戦うことなどできないという点だとすれば、ウクライナの教訓は、戦おうとする者たちに、我々は少なくとも、彼らがその仕事を完結できるように、道具を与えることはできるという点だ。」これは引用元著作冒頭に記されたNYTの記事からの引用。 そもそもNYTはアメリカ帝国民主党のプロパガンダ新聞ではないか、という懸念は横に置く。問題は武器支援を当然視しており、迷いがない点だと考える。 「自らを助くる者を助けよ。」という聖戦とかレジスタンスの物語に還元されているカンジだが、では、国外に脱出した難民達、戦争拒否のウクライナ人達を無き者にしてはいないか?そして、異論を無視して、戦争動員することは「軍国主義」思考と、どう違うのか? さらに、次の一文。「士気も戦闘能力も高いウクライナ軍の強固な抵抗と、対するロシア軍の戦闘態勢の欠陥と士気の低さ」、また「自国の主権と領土を守ろうとするウクライナ政府と国民の強固な意志」「ウクライナが抗戦を簡単にやめると想定するのは短絡」 確かに、ロシアウクライナ戦争は1年以上続いている。しかし、それは単に西側アメリカ帝国らが武器支援して、ウクライナ人を戦わせているだけではないのか? 上記は少なくとも、ワシントンポスト、3月13日付記事「熟練した軍隊と軍需品が不足しているウクライナ、損失と悲観論が高まる」と整合性は取れていない。また、アルチェモフスク(バフムート)付近の戦況とも異なる。 ウクライナ応援団は最初から現実と遊離していなかったか? 私は、ウクライナ聖戦を応援し、戦争を煽り、ウクライナの悲惨な戦争被害を拡大させた、ウクライナ応援団を糾弾したいのではない。 糾弾を「超える」ことは孫崎先生の教えである。 ただ、「避けられない崩壊が来るまであと 3 か月ほどしかありません」(Moon of Alabama)というのが、現実ならば、ウクライナ応援団が反省する日は来るのだろうか?それを注視したい。
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>ウクライナの軍事力の質は、かつてはロシアに対して実質的な優位性があると考えられていた
この認識からして、首を傾げてしまう。
>ロシアの20万人に対し、ウクライナ側は12万人と推定している。
Moon of Alabamaによる評価は真逆だ。「ウクライナの損失は、100,000 人の死亡者よりも 200,000 人に近く、さらに多くの負傷者がいると推定されており、特に下位の指揮レベルで感じられます。通りからセールスマンや教師を連れてきて、彼らを下級指揮官の役割に置くことはできません。」
https://www.moonofalabama.org/
>現状のウクライナに不利な状況を西側の武器供与によって変えられるのか。ウクライナの高官は匿名で、西側の約束は象徴的なものに過ぎないと述べた。
兵士、武器、弾薬全てが不足して、重要な補給路まで絶たれようとしている中で、それでも戦争を続けることの意味はなんなのだろうか?
>侵略が始まったとき、ウクライナ人は兵役に志願するために殺到したが、今では、国中の登録していない男性が路上で徴兵票を渡されることを恐れ始めている。ウクライナの内部セキュリティ サービスは最近、当局が召喚状を配布している場所をウクライナ人が回避するのに役立っていた Telegram アカウントを閉鎖した。
戦争に参加したくない人は当然いる。家族を戦場に送りたくない人々も確実にいる。それなのに、無理矢理戦争をさせている。それを仕向けているのは、アメリカ帝国等西側NATOであり、ウクライナ応援団だ。罪深いことだ。
次のコメントはMoon of Alabamaがwapoの記事の引用としてウクライナ軍のクポル中佐の言葉を引いている。曰く、「「奇跡には常に信念があります」と彼は言いました。「それは虐殺と死体になるか、それともプロの反撃になるかのどちらかです。2 つのオプションがあります。いずれにせよ、反撃があるでしょう。」」
これでは、竹槍でB29を迎撃するかの精神論ではないか?
私はこのような悲惨な戦争を一刻も早く止めるべきだ、と当初から発言してきた。しかるに、日本の主流権威筋メディアやリベラル勢力、更にはあろうことか、反戦派までもが、ウクライナ聖戦という架空の物語を妄信し、武器支援を肯定し、戦争継続を支援してきた。
ここで、その証拠としてあるリベラルを自認していた元教授(法哲学)の言説を記しておきたい。以下は同氏の著作からの引用である。
「自らを助くる者を助けよ。過去20年間の教訓が、自らのために戦おうとしない者たちの自由のために我々は戦うことなどできないという点だとすれば、ウクライナの教訓は、戦おうとする者たちに、我々は少なくとも、彼らがその仕事を完結できるように、道具を与えることはできるという点だ。」これは引用元著作冒頭に記されたNYTの記事からの引用。
そもそもNYTはアメリカ帝国民主党のプロパガンダ新聞ではないか、という懸念は横に置く。問題は武器支援を当然視しており、迷いがない点だと考える。
「自らを助くる者を助けよ。」という聖戦とかレジスタンスの物語に還元されているカンジだが、では、国外に脱出した難民達、戦争拒否のウクライナ人達を無き者にしてはいないか?そして、異論を無視して、戦争動員することは「軍国主義」思考と、どう違うのか?
さらに、次の一文。「士気も戦闘能力も高いウクライナ軍の強固な抵抗と、対するロシア軍の戦闘態勢の欠陥と士気の低さ」、また「自国の主権と領土を守ろうとするウクライナ政府と国民の強固な意志」「ウクライナが抗戦を簡単にやめると想定するのは短絡」
確かに、ロシアウクライナ戦争は1年以上続いている。しかし、それは単に西側アメリカ帝国らが武器支援して、ウクライナ人を戦わせているだけではないのか?
上記は少なくとも、ワシントンポスト、3月13日付記事「熟練した軍隊と軍需品が不足しているウクライナ、損失と悲観論が高まる」と整合性は取れていない。また、アルチェモフスク(バフムート)付近の戦況とも異なる。
ウクライナ応援団は最初から現実と遊離していなかったか?
私は、ウクライナ聖戦を応援し、戦争を煽り、ウクライナの悲惨な戦争被害を拡大させた、ウクライナ応援団を糾弾したいのではない。
糾弾を「超える」ことは孫崎先生の教えである。
ただ、「避けられない崩壊が来るまであと 3 か月ほどしかありません」(Moon of Alabama)というのが、現実ならば、ウクライナ応援団が反省する日は来るのだろうか?それを注視したい。