>明日3/10、東京スカイツリーでは東京大空襲の犠牲者への鎮魂の想いを込めた特別ライティング「白色のライティング」を点灯します 戦後世代の私は戦争体験は勿論ないので、基本的に「戦争体験」とは、私にとっては書物やメディアによる語り継ぎにより修得してきた。両親は山奥や周囲に田んぼしかない地域出身故に、空襲も全く経験していなかった。 それでも、私は「戦争体験」をある意味で内面化するかの強烈な印象を受けた作品が二つある。 一つは「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)。この中で、1945年1月、29歳で中国江西省でなくなった川島正さんの手記の一節を今も忘れない。 昭和18年1月、早朝、川島さんは「討伐」に出動した。そこである兵士が中国人を岩石で殴打し、鮮血にまみれて倒れ込んだことを目撃した。さらに兵士は足蹴にし、石を投げつけた。川島さんは「見るに忍びない」と書いていた。そして、「高木少尉の指図らしい。冷血漢。罪なき民の身の上を思い、あの時何故遅れ馳せでも良い、俺はあの農夫を助けなかったか。自責の念が起る」と続いた。 そして、川島さんは「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは・・・平和だ、平和の世界が一番だ。」と綴った。 私は年齢的に涙もろくなってしまって、泣けてくるのである。 そして、もう一つ。 「ゆきゆきて、神軍」には衝撃を受けた。戦場の悲惨や、皇軍の悪辣さ、戦後日本の欺瞞を教えられた。 この映画の公式HPから引用させてもらうと、「神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、”神軍”の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー。」 また、映画公式HPから、奥崎謙三氏のプロフィールは次のとおり「1920年、兵庫県生まれ。第二次大戦中召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。1956年、悪徳不動産業者を傷害致死、懲役十年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の名を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を発射。懲役一年六ヶ月の判決。戦後初めて天皇の戦争責任を告発した直接行動として衝撃を与えたが、マスコミ等の報道や裁判審理過程においては、その主張の本質は徹底的に回避される。1972年、“天皇ポルノビラ”をまき、懲役一年二ヶ月の判決。1981年、田中角栄殺人予備罪で逮捕、不起訴。1983年、元中隊長の息子に発砲。1987年、殺人未遂等で懲役十二年の判決。(公開時資料より)」 奥崎氏の人物像はWikipediaによるとかなり強烈な特異なキャラクターのように記されているが、木村元彦氏による文春オンラインの記事には人間味溢れる素顔が描かれている。 https://bunshun.jp/articles/-/43762?page=1 沖縄戦、大空襲、原爆投下、そして戦場。死屍累々たる風景。それが、私の修得した「戦争体験」である。 ウクライナでは「少年兵」が投入されているという話も聞いた。真偽はしらない。しかし、総力戦になればありうるかも、という戦争の悲劇だ。 国家と国家の戦争という側面にフォーカスすれば、どちらが悪いか、という是非の判断は必要かもしれない。実際、私はロシアウクライナ戦争について言うなら、悪いのはウクライナ、アメリカ帝国だと考えている。 しかし、名もなき庶民の戦争死ということを考えれば、一刻も早く、戦争は止めるしかない。国家間の勝ち負けはどうでもいい。 戦争を語る時に、国を守る!みたいなレジスタンスのような英雄譚、ロマンや恍惚感を語る輩がいる。 こういう輩達が真に信用できない。ウソつくな、である。 国家より子どもたちのイノチのほうが大事だ。だから、戦争はそもそもしてはいけない。戦争を招いたり、始めてしまったら、戦争は止めるが勝ち、だと信じている。
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>明日3/10、東京スカイツリーでは東京大空襲の犠牲者への鎮魂の想いを込めた特別ライティング「白色のライティング」を点灯します
戦後世代の私は戦争体験は勿論ないので、基本的に「戦争体験」とは、私にとっては書物やメディアによる語り継ぎにより修得してきた。両親は山奥や周囲に田んぼしかない地域出身故に、空襲も全く経験していなかった。
それでも、私は「戦争体験」をある意味で内面化するかの強烈な印象を受けた作品が二つある。
一つは「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)。この中で、1945年1月、29歳で中国江西省でなくなった川島正さんの手記の一節を今も忘れない。
昭和18年1月、早朝、川島さんは「討伐」に出動した。そこである兵士が中国人を岩石で殴打し、鮮血にまみれて倒れ込んだことを目撃した。さらに兵士は足蹴にし、石を投げつけた。川島さんは「見るに忍びない」と書いていた。そして、「高木少尉の指図らしい。冷血漢。罪なき民の身の上を思い、あの時何故遅れ馳せでも良い、俺はあの農夫を助けなかったか。自責の念が起る」と続いた。
そして、川島さんは「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは・・・平和だ、平和の世界が一番だ。」と綴った。
私は年齢的に涙もろくなってしまって、泣けてくるのである。
そして、もう一つ。
「ゆきゆきて、神軍」には衝撃を受けた。戦場の悲惨や、皇軍の悪辣さ、戦後日本の欺瞞を教えられた。
この映画の公式HPから引用させてもらうと、「神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、”神軍”の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー。」
また、映画公式HPから、奥崎謙三氏のプロフィールは次のとおり「1920年、兵庫県生まれ。第二次大戦中召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。1956年、悪徳不動産業者を傷害致死、懲役十年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の名を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を発射。懲役一年六ヶ月の判決。戦後初めて天皇の戦争責任を告発した直接行動として衝撃を与えたが、マスコミ等の報道や裁判審理過程においては、その主張の本質は徹底的に回避される。1972年、“天皇ポルノビラ”をまき、懲役一年二ヶ月の判決。1981年、田中角栄殺人予備罪で逮捕、不起訴。1983年、元中隊長の息子に発砲。1987年、殺人未遂等で懲役十二年の判決。(公開時資料より)」
奥崎氏の人物像はWikipediaによるとかなり強烈な特異なキャラクターのように記されているが、木村元彦氏による文春オンラインの記事には人間味溢れる素顔が描かれている。
https://bunshun.jp/articles/-/43762?page=1
沖縄戦、大空襲、原爆投下、そして戦場。死屍累々たる風景。それが、私の修得した「戦争体験」である。
ウクライナでは「少年兵」が投入されているという話も聞いた。真偽はしらない。しかし、総力戦になればありうるかも、という戦争の悲劇だ。
国家と国家の戦争という側面にフォーカスすれば、どちらが悪いか、という是非の判断は必要かもしれない。実際、私はロシアウクライナ戦争について言うなら、悪いのはウクライナ、アメリカ帝国だと考えている。
しかし、名もなき庶民の戦争死ということを考えれば、一刻も早く、戦争は止めるしかない。国家間の勝ち負けはどうでもいい。
戦争を語る時に、国を守る!みたいなレジスタンスのような英雄譚、ロマンや恍惚感を語る輩がいる。
こういう輩達が真に信用できない。ウソつくな、である。
国家より子どもたちのイノチのほうが大事だ。だから、戦争はそもそもしてはいけない。戦争を招いたり、始めてしまったら、戦争は止めるが勝ち、だと信じている。