中庸左派 のコメント

>ロシアは、訓練を受けていない新兵を「肉挽き器」に投げ込み続け、そこで彼らの 4 分の 3 が死亡している。

 この事実認識と異なる事実を提示することが出来る。真逆の事実。以下はウクライナを操るアメリカ帝国傘下のABCニュースがウクライナ不利の情報を伝えているのだから「信ぴょう性」があるだろう。

https://abcnews.go.com/International/nonstop-shelling-former-us-marine-fighting-bakhmut-fighting/story?id=97324824

 この著者は、オックスフォード大学のグローバル ヒストリーの教授というのだから、所謂西側エリートだろう。こういう西側エリートは、自らの考えや物語が、実は間違っているのではないか、そう思考実験というか、シミュレーションをしないようだ。あくまで、他者は論評の対象でしかなく、自らは高い位置から、外界を見下ろし、ご託宣を下すテイである。

 勿論、神の啓示のような正しいご託宣なら良い。しかし、西側エリートの場合、間違った上から目線であることが多い。

 実際、上記のように簡単に反論可能だったりする。

>ウクライナへの侵攻と西側諸国の反応は、中国とロシアの協力に大きなチャンスをもたらした。たとえば、中国は記録的な量の安価なロシアの石油とガスを購入している一方で、はるかに多くの機械と半導体をロシアに輸出している。

 スエズ侵攻の失敗により、パックスアメリカーナの補完勢力というか、アメリカ帝国のおこぼれを漁るような情けなけないポジションについた英国だが、長年染み付いた「上から目線」はなかなか脱せずにいるようだ。

 だから中露による多極世界への胎動が悔しくて仕方ないのだろう。

 ところで、3月3日のMoon of Alabamaはギリシャのライターであるスタヴロウラ・パブスト(Stavroula Pabst)という人か書いた「「事実確認と「虚偽情報」の暴露という悪質な目的に関する興味深い記事」を紹介している。

 このギリシャ人は、「ファクト チェックと「反偽情報」の取り組みが殺到するのはなぜですか?」と問を立てて、フランス人Guy Debordという人がかいた「The Society of the Spectacle」(1967年)
という論考を手掛かりに「Guy Debord の「専門家の役割」への警告: 事実確認の台頭に関する哲学的視点」という記事を書いている。

https://libya360.wordpress.com/2023/01/03/guy-debords-warning-of-the-role-of-the-expert-a-philosophical-perspective-on-the-rise-of-fact-checking/

 ここに言うSpectacleスペクタクルという概念であるが、これは日本風に言うなら劇場政治、例えば「小泉劇場」みたいな「○○劇場」的概念だと考えている。

 スタヴロウラ・パブストは
「このスペクタクルが私たちの生活を完全に支配している」、「スペクタクルの社会である私たちの現在の現実は、世界が「ひっくり返った」世界です。」と言っている。

 上記の英国人の言葉を使用するなら、「民主主義は独裁政治とは異なる方法で戦争を戦う」劇場を眺める西側の大観衆は、スペクタクルの興奮の中で、敗北しつつある、否勝つことは絶対に許されないウクライナに大声援を送っている。

 正に、西側の大観衆が見ている事実は「ひっくり返った世界」、即ちウソ、虚偽の世界だ。

 少なくともハッキリ言えることがある。ウクライナ聖戦と応援は日本の権力と主流権威筋メディアが作り上げたスペクタクルである。そのお墨付きを専門家が与える。そして「経済に支配された社会では、そのような専門家は私たちに真実を提供することはできません。 彼らは、真実のように 見える ものに紡がれた嘘と歪曲を通じて、国家とメディアに奉仕するために存在します。」(Debord)。これこそが、「ファクト チェックと「反偽情報」の取り組みが殺到するのはなぜですか?」の答えであろう。

 「反偽情報への取り組みが急増する一方で、会話に欠けているのは権力についての議論です。もちろん、権力者には、彼らが「偽情報」と見なすものと闘いたい理由があります。彼らは、彼らのバージョンの真実が私たちのものになることを望んでいます」(スタヴロウラ・パブスト)

 そして、このブログを通じても二人ばかり、メディアと専門家により作られたスペクタクルに洗脳された人を観察できる。カレらの特徴は、日本政府(権力)とアメリカ帝国への信頼だ。

 では、そのようなウソ、即ちスペクタクルにどう対峙するのか?

 スタヴロウラ・パブストは、「スペクタクルを無効にして解体するには、言うべき何かを見つける必要がある」という。
 そして、「この「実際的な力」には、今日の事実確認や反偽情報への熱狂などの現象によって、スペクタクルが私たちの生活に忍び込み、完全に消去されたとまではいかなくても、大幅に排除されたという有意義な対話が必要です。そして、その対話とコミュニケーションは、細分化された個人やスペクタクルの影響を受けやすい孤独な群衆によって開始されるのではなく、共同体を共有し、ドゥボールが「普遍的な歴史」と表現するものとの意味のあるつながりを共有する人々によって開始されます。」と。

 私は、孫崎先生が提供してくれたこの場が「ドゥボールが「普遍的な歴史」と表現するものとの意味のあるつながりを共有する」場であると受け止めている。

 孫崎先生はスペクタクルにおけるニセの専門家ではない。それはハッキリした事実と言える。防衛研究所の連中や笹川平和財団だの小泉悠、胡散臭い連中が語るスペクタクル状況=権力と一体化していない、それはハッキリ言える。

 私が孫崎先生をスゴイと考える所以である。

No.8 21ヶ月前

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