>私はリベラル勢力、護憲グループの怠慢によると思う。平和的解決の模索を停止している 多元的価値観や複雑な利害が錯綜する事態或いは問題の解決を阻害するのは、単純思考や二元論的思考様式ではなかろうか? よくある思考パターンは①善と悪②弱者と強者③国境侵犯=侵略と単純化して決めつける思考様式だろう。 特に、弱者(被害者)と認定され、国境侵犯という事実も認定されれば、弱者(被害者)は正しい、という短絡に容易に陥る。 ここから、この弱者を助けることが「正義」として、物語が作られていく。 そして、重要なポイントは、正義の物語は現実の文脈や論理的思考からは切り離された「架空のストーリー」に陥っていく、ということだろう。 ロシアウクライナ戦争に関して言うなら、ウクライナ聖戦というストーリーからは弱者支援と国防強化というストーリーが派生してくる。 しかしながら、不思議なことに、ウクライナ聖戦のストーリーを信じる人の中にも、国防強化(防衛3文書、防衛増税)には反対する向きがある。 例えば、「ロシアのウクライナ侵攻から1年 ウクライナに平和を! 2・24日比谷野音集会&デモロシアは即時 、撤退せよ !原発に手を出すな!核使用恫喝許さない!すべての戦争と戦争準備に反対!」に集う、サヨク多数派?の方々である。 国防強化反対は、私は勿論賛成だ。 だが、そもそもウクライナ聖戦から派生したストーリーとしての国防強化論なのだから、一方でウクライナ聖戦を言い、一方で国防強化反対では、チグハグ感が否めない。 しかも、アメリカ帝国等による武器供与反対の視点が欠落しているようでは、戦争継続賛成なのか、反対なのか全く不明と言わざるを得ない。 ウクライナ聖戦を語るからこそ、国防強化の物語も聖なる物語として正当化されるわけだが、その矛盾に引き裂かれて悩むカンジはないのである。 現実から遊離した架空のストーリーを信じるから、現実的解決という観点からは、悉く空論を言い立てることに堕して行く。 二元論的思考、短絡思考の末路である。これが日本サヨクが、今陥っている袋小路であろう。 ウクライナ聖戦という架空のストーリーにアメリカ帝国等による謀略(マイダンクーデターやノルドストリーム爆破)という要素や、ドンバス地方の露系ウクライナ人への虐殺、ネオナチアゾフの存在、掛け算したり、連立方程式にしてみると、答えは全く異なる筈。 そして、架空のストーリーから脱した現実的解決策が導き出されると考えている。 さて、サヨク多数派の混迷を述べてみたが、新左翼はどうだろうか? 立花隆氏が70年代にノンフィクションで取り上げた、A派とB派について見てみた。直近のロシアウクライナ戦争論である。HP掲載論文を参考にした。単純比較に過ぎないことはお断りしておく。 着眼点は①ドンバス地方、露系ウクライナへの迫害に触れているか②アメリカ帝国の評価③武器供与反対④代理戦争⑤ゼレンスキー批判の5点。有りは○、無しは☓で表記する。どんな要素を主張に組み込んでいるか、見てみたい。 まず、A派、「戦争反対!武器を送るな!参戦するな!」のデモ行進写真が目に飛び込んでくる。①、☓。②、○。③、○。④、○。⑤、○。 次にB派。①、☓。②、○。③、☓。④、☓。⑤、☓。こちらは、スターリニズムや大ロシア主義の批判が目についた。 ドッチがどうとは言わない。どちらにも私は属してはいない。
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(ID:119568177)
>私はリベラル勢力、護憲グループの怠慢によると思う。平和的解決の模索を停止している
多元的価値観や複雑な利害が錯綜する事態或いは問題の解決を阻害するのは、単純思考や二元論的思考様式ではなかろうか?
よくある思考パターンは①善と悪②弱者と強者③国境侵犯=侵略と単純化して決めつける思考様式だろう。
特に、弱者(被害者)と認定され、国境侵犯という事実も認定されれば、弱者(被害者)は正しい、という短絡に容易に陥る。
ここから、この弱者を助けることが「正義」として、物語が作られていく。
そして、重要なポイントは、正義の物語は現実の文脈や論理的思考からは切り離された「架空のストーリー」に陥っていく、ということだろう。
ロシアウクライナ戦争に関して言うなら、ウクライナ聖戦というストーリーからは弱者支援と国防強化というストーリーが派生してくる。
しかしながら、不思議なことに、ウクライナ聖戦のストーリーを信じる人の中にも、国防強化(防衛3文書、防衛増税)には反対する向きがある。
例えば、「ロシアのウクライナ侵攻から1年 ウクライナに平和を! 2・24日比谷野音集会&デモロシアは即時 、撤退せよ !原発に手を出すな!核使用恫喝許さない!すべての戦争と戦争準備に反対!」に集う、サヨク多数派?の方々である。
国防強化反対は、私は勿論賛成だ。
だが、そもそもウクライナ聖戦から派生したストーリーとしての国防強化論なのだから、一方でウクライナ聖戦を言い、一方で国防強化反対では、チグハグ感が否めない。
しかも、アメリカ帝国等による武器供与反対の視点が欠落しているようでは、戦争継続賛成なのか、反対なのか全く不明と言わざるを得ない。
ウクライナ聖戦を語るからこそ、国防強化の物語も聖なる物語として正当化されるわけだが、その矛盾に引き裂かれて悩むカンジはないのである。
現実から遊離した架空のストーリーを信じるから、現実的解決という観点からは、悉く空論を言い立てることに堕して行く。
二元論的思考、短絡思考の末路である。これが日本サヨクが、今陥っている袋小路であろう。
ウクライナ聖戦という架空のストーリーにアメリカ帝国等による謀略(マイダンクーデターやノルドストリーム爆破)という要素や、ドンバス地方の露系ウクライナ人への虐殺、ネオナチアゾフの存在、掛け算したり、連立方程式にしてみると、答えは全く異なる筈。
そして、架空のストーリーから脱した現実的解決策が導き出されると考えている。
さて、サヨク多数派の混迷を述べてみたが、新左翼はどうだろうか?
立花隆氏が70年代にノンフィクションで取り上げた、A派とB派について見てみた。直近のロシアウクライナ戦争論である。HP掲載論文を参考にした。単純比較に過ぎないことはお断りしておく。
着眼点は①ドンバス地方、露系ウクライナへの迫害に触れているか②アメリカ帝国の評価③武器供与反対④代理戦争⑤ゼレンスキー批判の5点。有りは○、無しは☓で表記する。どんな要素を主張に組み込んでいるか、見てみたい。
まず、A派、「戦争反対!武器を送るな!参戦するな!」のデモ行進写真が目に飛び込んでくる。①、☓。②、○。③、○。④、○。⑤、○。
次にB派。①、☓。②、○。③、☓。④、☓。⑤、☓。こちらは、スターリニズムや大ロシア主義の批判が目についた。
ドッチがどうとは言わない。どちらにも私は属してはいない。