孫崎先生に拙文を取り上げていただいたり、またフレディ タンさんから過分なお褒めの言葉をいただき、恐縮というか、落ち着かない気分であります。何はともあれ、ありがとうございます。 以下、多少、今の労働現場に関して私見を述べさせていただきます。 >物価上昇で実質賃金が減少する状況。労働者の「代表」連合は自民党、経団連との連携を模索している。「労働者」のカテゴリーの人々はどう考えているのか。 連合会長に関しては、これは私の想像ですが、名前も知らない「組合員」が多いと思われます。労働現場の現実はそういうカンジではないかな、と私は想定しています。これは、私が現役の組合活動家だった頃から、変わってはいないでしょう。 連合は現場の組織労働者にとって「遠い」存在。むしろ、岸田首相なら、名前の認知率では断然高いでしょう。芳野会長が自民党にすり寄る所以ではないでしょうか? いや、申し訳ありません。笑えない現実です。 私は組合活動家でしたが、労組幹部とは違うポジション。現場組合員と労組執行部を繋ぐ役割を担ってきました。一方、連合会長ともなれば、その実質は「政治家」と同じです。「政治的センス」が悪ければ、労働者に対する誠実さより、政治的忖度を優先することでしょう。 「実質賃金が減少する状況」、実際のところ、大手企業や公務員の正規労働者として、この問題に、抜き差しならない形で直面することはないと考えられます。実際、大手企業なら、労組が黙っていても、経営者の英断とか、大所高所の経済学的必要性から、賃上げに踏み切ってくれるカンジではないでしょうか? 近年は労働現場の問題は、中小企業や非正規労働者の問題「でしか」ありませんでした。大手企業や公務員は比較的「労働貴族」的待遇だからです。 しかし、1995年の「新時代の「日本的経営」」が発表され、新自由主義が世間を席巻するようになり、大手企業や公務員も状況が一変しました。非正規労働者が職場に激増するようになりました。ある部署が丸々非正規労働者に入れ替わってしまう、そんな現実に直面するようになりました。非正規労働者は、当然不安定でいつ馘首されるか分かりません。けれども、一方の正規労働者の世界も、非効率な使えないヤツはいつでも馘首するぞ、というプレッシャーが加わりました。 だれもが、安心して働けなくなったのです。 それ故、私の組合活動家としての役割は、働き続けられる職場作りでした。雇用か賃金か、という二択なら、私は迷わず雇用を選択してきました。 一人でも多くの「仲間」を現場で労働者として全うさせるための相談や世話焼き活動、それが私の役割だと考えてきました。その意味で、現場の組合活動家として、経済闘争=賃上げにはあまり関わることはありませんでした。 手元に労働経済学者で甲南大学名誉教授の熊沢誠先生の著作があります。「労働組合運動とはなにか 絆のある働き方をもとめて」(岩波書店)です。私は熊沢先生のお考えに共感していて、先生の著作を愛読してきました。この本の中で、熊沢先生は、労働組合の思想を「競争の制御」と述べておられます。 私はなんの才能も能力もない普通のヒトが働き続けられる職場を理想としてきました。私自身が働き続けるためにです。 とはいえ、理想どおりには世の中いきません。 私は非正規労働者の増大による格差社会を労働者として是正するために、一時ワークシェアリング(賃金水準を抑制した雇用の分かち合い)を盛んに訴えてきました。 熊沢先生はワークシェアリングについて、「もっとも労働組合らしい思想が込められた営み」と述べられており、私は自分の考えに、意を強くしていました。 しかし、組合の定期大会でワークシェアリングについて意見を述べても、周囲はシラケるカンジだけでした。労働者の中に、共に生きて、働く「仲間」という意識が薄れてきたのかな、私はそんな印象を正直持つに至りました。そして、私は無力な自分をダラカンと考えるようになりました。 私が所属していた組合は連合傘下でした。連合が頼られ、信頼される存在になり得ないであろう、ということは、残念ですが、経験的実感です。 私はもともと陰々滅々とした性分なので、後ろ向き発言ばかりなのはご容赦下さい。
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孫崎先生に拙文を取り上げていただいたり、またフレディ タンさんから過分なお褒めの言葉をいただき、恐縮というか、落ち着かない気分であります。何はともあれ、ありがとうございます。
以下、多少、今の労働現場に関して私見を述べさせていただきます。
>物価上昇で実質賃金が減少する状況。労働者の「代表」連合は自民党、経団連との連携を模索している。「労働者」のカテゴリーの人々はどう考えているのか。
連合会長に関しては、これは私の想像ですが、名前も知らない「組合員」が多いと思われます。労働現場の現実はそういうカンジではないかな、と私は想定しています。これは、私が現役の組合活動家だった頃から、変わってはいないでしょう。
連合は現場の組織労働者にとって「遠い」存在。むしろ、岸田首相なら、名前の認知率では断然高いでしょう。芳野会長が自民党にすり寄る所以ではないでしょうか?
いや、申し訳ありません。笑えない現実です。
私は組合活動家でしたが、労組幹部とは違うポジション。現場組合員と労組執行部を繋ぐ役割を担ってきました。一方、連合会長ともなれば、その実質は「政治家」と同じです。「政治的センス」が悪ければ、労働者に対する誠実さより、政治的忖度を優先することでしょう。
「実質賃金が減少する状況」、実際のところ、大手企業や公務員の正規労働者として、この問題に、抜き差しならない形で直面することはないと考えられます。実際、大手企業なら、労組が黙っていても、経営者の英断とか、大所高所の経済学的必要性から、賃上げに踏み切ってくれるカンジではないでしょうか?
近年は労働現場の問題は、中小企業や非正規労働者の問題「でしか」ありませんでした。大手企業や公務員は比較的「労働貴族」的待遇だからです。
しかし、1995年の「新時代の「日本的経営」」が発表され、新自由主義が世間を席巻するようになり、大手企業や公務員も状況が一変しました。非正規労働者が職場に激増するようになりました。ある部署が丸々非正規労働者に入れ替わってしまう、そんな現実に直面するようになりました。非正規労働者は、当然不安定でいつ馘首されるか分かりません。けれども、一方の正規労働者の世界も、非効率な使えないヤツはいつでも馘首するぞ、というプレッシャーが加わりました。
だれもが、安心して働けなくなったのです。
それ故、私の組合活動家としての役割は、働き続けられる職場作りでした。雇用か賃金か、という二択なら、私は迷わず雇用を選択してきました。
一人でも多くの「仲間」を現場で労働者として全うさせるための相談や世話焼き活動、それが私の役割だと考えてきました。その意味で、現場の組合活動家として、経済闘争=賃上げにはあまり関わることはありませんでした。
手元に労働経済学者で甲南大学名誉教授の熊沢誠先生の著作があります。「労働組合運動とはなにか 絆のある働き方をもとめて」(岩波書店)です。私は熊沢先生のお考えに共感していて、先生の著作を愛読してきました。この本の中で、熊沢先生は、労働組合の思想を「競争の制御」と述べておられます。
私はなんの才能も能力もない普通のヒトが働き続けられる職場を理想としてきました。私自身が働き続けるためにです。
とはいえ、理想どおりには世の中いきません。
私は非正規労働者の増大による格差社会を労働者として是正するために、一時ワークシェアリング(賃金水準を抑制した雇用の分かち合い)を盛んに訴えてきました。
熊沢先生はワークシェアリングについて、「もっとも労働組合らしい思想が込められた営み」と述べられており、私は自分の考えに、意を強くしていました。
しかし、組合の定期大会でワークシェアリングについて意見を述べても、周囲はシラケるカンジだけでした。労働者の中に、共に生きて、働く「仲間」という意識が薄れてきたのかな、私はそんな印象を正直持つに至りました。そして、私は無力な自分をダラカンと考えるようになりました。
私が所属していた組合は連合傘下でした。連合が頼られ、信頼される存在になり得ないであろう、ということは、残念ですが、経験的実感です。
私はもともと陰々滅々とした性分なので、後ろ向き発言ばかりなのはご容赦下さい。