なんでこのひとが一種のとはいえ右翼枠にはいってるのかな。 別に故人をけなすつもりはここでは全くないけど、このひとは右翼じゃないでしょう。 孫崎さんもちゃんとわかっていて、「出発は右翼。だが枠にとらわれず」と お書きだし、 「鈴木自身も2008年、ユーモラスに、今の自分は「右翼度30%、左翼度70%」で「四捨五入したら完全な左翼」」 と表記ともお書きだ。 右翼度30%というのは主観だから、本人はそうおもっていたのかと感じるだけだが、この人は晩年には 民団からカネを受け取ってしばき隊に流すという、右翼だったら絶対やらないこともやっていると聞く。 ではなんで右翼イメージがあるのかというと、TVをはじめとするメディアのせいなんでしょうね。 TVの絵的に、サヨクに右翼が対しているというのが、視聴率になった。 本人も記事中にあるように「要領のいい性格」で、積極的にそれを利用して自己表現していった。 そして、それにホイホイのせられる視聴者がいたということでしょう。 しかし、ほんとの右翼がTVに出られるはずがないってわかんないもんかな。 このひとが右翼(新右翼と言っていたが)を名乗れたのは、しかし、記事にもある若い右翼だったころ、 全国から上京してくる右翼の面倒をよく見ていたからだとも聞く。記事中にも面倒見の良い性格の 一端を示す描写がある。当時面倒を見てもらった右翼たちがその後大物になり、そこはすぐに分派し殺し合う サヨクの世界と違い情誼を重んじるひとたちだから、このひとは手を出されなかった。 しかしさすがにロシアのクリミア侵略を肯定したことで、もう右翼とは名乗らないで欲しいということに なったと聞いた。いま久しぶりに一水会のツイッターをみたが、たしかに「愛国者団体」と名乗っているだけだ。 今回の記事中でもっとも注目すべきは、 「年末、1人でいると、いろんなことを考える。オレは1人だ。淋しい。孤独だ、と思う。でも、運動に突っ走って、死んだ人も多い。獄中にいる人もいる。その人たちのことを考えると、申し訳ないと思う。真面目で、思いつめたから死んだんだ。獄中にいるんだ。それなのに俺は勇気がないから、卑怯だから、そこまでやれなかっただけだ。そして、外の世界で、自由に生きている。俺の方が「犯罪者」だと思う。年の瀬は、そんなことを痛切に感じるんですよ。(中略)幸い、全ての事件は時効を迎えた。そして、他人のことをあれこれと無責任に書いている。亡くなった人、獄中にいる人には本当に申し訳ないと思っている。本当に悪いのは私です。」 というところだとおもう。 この気持ちに思いをはせることが、故人への供養となるだろうが・・・
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なんでこのひとが一種のとはいえ右翼枠にはいってるのかな。
別に故人をけなすつもりはここでは全くないけど、このひとは右翼じゃないでしょう。
孫崎さんもちゃんとわかっていて、「出発は右翼。だが枠にとらわれず」と
お書きだし、
「鈴木自身も2008年、ユーモラスに、今の自分は「右翼度30%、左翼度70%」で「四捨五入したら完全な左翼」」
と表記ともお書きだ。
右翼度30%というのは主観だから、本人はそうおもっていたのかと感じるだけだが、この人は晩年には
民団からカネを受け取ってしばき隊に流すという、右翼だったら絶対やらないこともやっていると聞く。
ではなんで右翼イメージがあるのかというと、TVをはじめとするメディアのせいなんでしょうね。
TVの絵的に、サヨクに右翼が対しているというのが、視聴率になった。
本人も記事中にあるように「要領のいい性格」で、積極的にそれを利用して自己表現していった。
そして、それにホイホイのせられる視聴者がいたということでしょう。
しかし、ほんとの右翼がTVに出られるはずがないってわかんないもんかな。
このひとが右翼(新右翼と言っていたが)を名乗れたのは、しかし、記事にもある若い右翼だったころ、
全国から上京してくる右翼の面倒をよく見ていたからだとも聞く。記事中にも面倒見の良い性格の
一端を示す描写がある。当時面倒を見てもらった右翼たちがその後大物になり、そこはすぐに分派し殺し合う
サヨクの世界と違い情誼を重んじるひとたちだから、このひとは手を出されなかった。
しかしさすがにロシアのクリミア侵略を肯定したことで、もう右翼とは名乗らないで欲しいということに
なったと聞いた。いま久しぶりに一水会のツイッターをみたが、たしかに「愛国者団体」と名乗っているだけだ。
今回の記事中でもっとも注目すべきは、
「年末、1人でいると、いろんなことを考える。オレは1人だ。淋しい。孤独だ、と思う。でも、運動に突っ走って、死んだ人も多い。獄中にいる人もいる。その人たちのことを考えると、申し訳ないと思う。真面目で、思いつめたから死んだんだ。獄中にいるんだ。それなのに俺は勇気がないから、卑怯だから、そこまでやれなかっただけだ。そして、外の世界で、自由に生きている。俺の方が「犯罪者」だと思う。年の瀬は、そんなことを痛切に感じるんですよ。(中略)幸い、全ての事件は時効を迎えた。そして、他人のことをあれこれと無責任に書いている。亡くなった人、獄中にいる人には本当に申し訳ないと思っている。本当に悪いのは私です。」
というところだとおもう。
この気持ちに思いをはせることが、故人への供養となるだろうが・・・