戦争に正義があるとは思っていない。 このようなロシアに偏重した立場というより、「ロシア=善、米国=悪」に区分けして論ずることを好ましいこととみていない。 古代アテネの歴史家にちなんだ米国のクレアム・アリソンの造語「ツキディデスの罠」を連想する。 「従来の覇権国家(米国)と台頭する新興国家(露中)が戦争不可避な状態まで衝突する現象」 「米国の言動が気に入らないから、ウクライナへ侵攻した」といって侵攻を正義と見なし、侵攻を余儀なくさせた米国に責任があるという論理が基本である。 戦争といわずあらゆることに対して対立は必ず出てくるのであって、話し合いを重ね、どうしても相互了解が得られなければ、裁判とか投票によって決めるのが民主主義国のルールである。この原稿を書いている方は「民主主義のルールに則るのでなく、ロシア=善であり、米国=悪と決めつけて論理展開」しており、極めて不快な気持ちにさせられる。 米国の「非」をあげつらえば、同じようにロシアの「非」をあげつらうことができる。どこまで言っても平行線であり相互の話し合いが成立しなければ、戦争になるが、基本的には先に手を出した方の責任が重いとみるのが基本ではないか。 価値観の違いを埋めがたく、米国と露中では違いがあり話し合いが成立しない。どちらもよいといえるし悪いともいえる。 戦争に勝った方が正義と主張することになる。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
戦争に正義があるとは思っていない。
このようなロシアに偏重した立場というより、「ロシア=善、米国=悪」に区分けして論ずることを好ましいこととみていない。
古代アテネの歴史家にちなんだ米国のクレアム・アリソンの造語「ツキディデスの罠」を連想する。
「従来の覇権国家(米国)と台頭する新興国家(露中)が戦争不可避な状態まで衝突する現象」
「米国の言動が気に入らないから、ウクライナへ侵攻した」といって侵攻を正義と見なし、侵攻を余儀なくさせた米国に責任があるという論理が基本である。
戦争といわずあらゆることに対して対立は必ず出てくるのであって、話し合いを重ね、どうしても相互了解が得られなければ、裁判とか投票によって決めるのが民主主義国のルールである。この原稿を書いている方は「民主主義のルールに則るのでなく、ロシア=善であり、米国=悪と決めつけて論理展開」しており、極めて不快な気持ちにさせられる。
米国の「非」をあげつらえば、同じようにロシアの「非」をあげつらうことができる。どこまで言っても平行線であり相互の話し合いが成立しなければ、戦争になるが、基本的には先に手を出した方の責任が重いとみるのが基本ではないか。 価値観の違いを埋めがたく、米国と露中では違いがあり話し合いが成立しない。どちらもよいといえるし悪いともいえる。
戦争に勝った方が正義と主張することになる。