中庸左派 のコメント

人間は一人で死んでいく存在だとするなら、究極的には孤独な存在だとふと考えることはあります。母の介護を通して、老いと死を考える機会は増えました。自分はどこでどんなふうに死ぬのだろうか?と。自宅で死にたい、という人もいるようですが、何処で死のうが一人は一人。私は老人福祉施設や病院で死ぬことは、むしろ社会システムに保護された人間らしい死に方ではないかな、と考えるようになりました。

喜びも悲しみも個別的で個人的な現象であり、究極的にはパーソナルな問題は他者も社会も解決は出来ない。

とはいえ、下部構造と上部構造の理論に従えば、経済的社会的安定は少なからず孤独緩和に寄与するのではないか、と考えています。しかし、高度経済成長は今や歴史の一ページに過ぎず、斎藤幸平氏は脱成長を掲げて資本主義を糾弾しています。では、どうするか?私は雇用、子育て環境の安定化に尽きると考えてきました。これ自体若年層へ政策的シフトになります。そして、株主資本主義を改めて、企業の内部留保を労働者、社員に分配する。合わせて、働き続けることのできる職場環境整備。終身雇用の復権、ワークシェアリング。公的な子育て、セーフティネットの整備。以上のような観点から、分かち合いの社会を構築するべきだと考えてきました。

当然、財源は税です。法人課税強化或いは、金融資産課税強化等々、議論して国民負担率をあるべき形に引き上げることが大事でしょう。

マルクスの説いたように社会システム(下部構造)によって、人間の個別的問題が全て解決するとは考えませんが、「能力に応じて働き、必要に応じもらう」という社会に近づくのなら、孤独の緩和に寄与するかも知れません。また、何事も社会的解決しようというアプローチは、人間らしいやり方だと考えます。「孤独のための機関」という考え方は興味深い試みだと考えます。

No.3 25ヶ月前

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