りゃん のコメント

今回は移民についてです。今回で最後です。

数年から十数年くらい前ごろには、さかんに移民について議論がなされていたとおもいます。自民党の一部からは移民一千万人計画が提唱され(たとえば毎年20万人を50年間つづける)、当時の民主党の一部からも同様な提唱があったはずです。さらに大人数を提唱する野党もあったかと記憶があります。また安倍政権下で日本は本格的に労働移民をうけいれはじめました。

日本には外国人が出入りしており、そのうちの一部が日本に定住することは不自然ではありません。何人と具体的にいえるものではないですが、少数の外国人を受け入れていくことに反対するものではありません。ただ、在日韓国朝鮮人など、経緯上受け入れざるを得ませんでしたが、彼らの一部は本国とからんで、日本社会にマイナスのインパクトを与えたこともあったことを忘れるべきではありません。

そして、今問題の移民は、オリジナルの日本人の人口が減る中、労働移民として今後数十年かけて千万人単位の外国人を受け入れるというものであるものだということを認識する必要があります。

これについて右寄りの議論をみていると、おおむね「グローバリズム勢力の日本弱体化計画」という観点が多いですが、そんなことよりも、日本社会がそういう外国人増加に単純に耐えられないと考えています(移民に関連して欧米でおきているような問題がさまざまおきるようになる)。

明治の近代化は知力体力行動力などにまさる精鋭が、主として外国に出て異文化をもちこんだものです。それをチャンスとして栄達したひとびとも多いでしょうが、大石誠之助は幸福な死に方はしてないし、漱石はロンドンで精神病になりました。かれらはそれでも名を残しましたが、その何倍のひとびとが、ただ斃れただけだったと想像しています(たぶん探せばそういう研究もあるとおもいますが、今のところ知りません)。

労働移民は、生きて生活している異文化が、知力体力行動力がふつう(あるいは日本人の高齢化をおもうとふつう以下)の日本人の隣にやってくるものです。それとも、日本人の済まない過疎地に、移民だけの集落がつくられて住むようになるかもしれません。数十年かけはするが、千万人単位で。

明治の近代化で異文化を受け入れることは必然的だったとおもいます。しかし、経済成長のために異文化を、上に述べたようなかたちで受け入れることがはたして必然なのか。

わたしは経済成長は必要だという論者ですが、経済成長のために移民が絶対に必要なのなら、経済成長しなくてもいいとおもっています。そういう優先順位で考えています。

他でも書いているので、ほとんど書きっぱなしで推敲できてませんが、趣旨をくみとっていただければとおもいます。

No.27 24ヶ月前

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