「日本のウクライナ化」を危ぶみ、警鐘を鳴らし続けておられる天木直人氏だが、今日のメルマガ表題に次があった- 「ロシアの次は中国だと宣言することになる5月23日の日米首脳会談」 「日本のNATO参加を騒がない日本の護憲政治の機能不全」 その記事で描出されている現下 日本の状況は、戦前のジャーナリスト・鈴木天眼氏が体を張って渾身の糾弾を続けた、軍国主義路線まっしぐらだった当時の日本の状況と やけに重なる。 「鈴木天眼 反戦反骨の大アジア主義」/高橋信雄- “外務省政務局長・阿部守太郎の暗殺事件が起きる前に、すでに日本外交弱腰批判、阿部政務局長糾弾の記事が大新聞にあふれていた。国家主義団体ならずとも、一般読者は連日の記事を読むうちに、政府の弱腰への憤激と、中国政府軍への復讐心を漲らせるようになっていた。 ある新聞の社説は中国出兵を強硬に主張した上で、日本政府が思い通りに動かないので「我輩甚だ憂慮に堪へず」と結んだ。天眼はこの社説を痛烈に批判した。「論の本旨は出兵催促! 武断外交! 他に一物無し」。「只、出兵の時抦=つづいて満蒙侵略=のチャンスを何故活用せざるやと焦るのである」。また別の記事も、「対支外交を誤りたる過半の責任」は阿部局長にあると糾弾した上で、「先ず馬謖を斬れ」「阿部局長を我が外交界より葬らざるべからず」と断じた... このような新聞の論調には、物事を多角的に考察し、冷静かつ合理的に判断するという思考態度はない。「零点と、さうして沸騰点! 而して中間温度の昇降余地を意識せず。これが日本論壇の作文常癖である」と天眼は言う。日頃、理知的、進歩的に装っていても、いざとなると、武断一辺倒の本性を顕わにしてしまう大新聞が多かったのである...新聞がこんな調子では、社会の羅針盤の役割を果たすものがなくなってしまう。国民にとって不幸なことである...” “天皇を神であると信じ続けた日本人は敗戦を境に、まことに器用に信仰を捨て、ひたすら忘却に身を委ねながら新たな発展の道を歩み続けた。その異様は語るまでもないだろう。肝に銘じておかなければならない問題は、過去の過ちを忘れる人間は、同じことを繰返すということだ。顧みて教訓を得ることを怠れば、同じ過ちを防ごうとしても、防ぐ方法を持ち得ないということだ。この先、絶対的権威の前にひれ伏しながら、日本国民全員が一斉に死に向かって突進するということが起こらないとは限らない。なにしろ、2発の原爆を投下されても、なお本土決戦、1億総玉砕を叫び、天皇を神と信じて天皇のために1億の民が挙って死に急ぐ国民総自殺の準備を進めていたのは、わずか76年前のことである...戦後の我々が、戦前とほとんど変わらぬ危うさを抱えた国民であることが分かるだろう。” * こうなると、事は「DSの言いなり」か否かだけの話でない。さすがに戦前に「DSの言いなり」は無いだろう。ご著書「日本国の正体」が重くのしかかる。やはり、総じて日本人は、元々民度は低いが、愚民度は高い━これだろう。 上記「鈴木天眼」によると、孫文は最後の訪日演説で次の通り強調したという- “「東洋の文化は道徳仁義を中心とする王道文化であり、西洋の文化は武力、鉄砲を中心とする覇道文化である。大アジア主義とは文化の問題であり、我々アジア民族は団結して仁義道徳を中心とするアジア文明の復興を図り、この文明の力をもって西洋の覇道文化、西洋の横暴なる圧迫に抵抗しなければならない」。孫文は日本人にともに歩むべき道を指し示し、行動を求めた。聴衆は熱狂的な拍手で、孫文の主張に賛意を表したという。後に活字になった講演録には、次のような締め括りの言葉が追加されている。 「日本は既に西洋の覇道文化を得ていると同時に、東洋の王道文化の本質も持っている。今後、日本が世界の文化の前途に対して、結局のところ、西洋覇道の犬となるか、東洋王道の干城となるか、それは、あなたがた日本国民が慎重にお選びになればよいことです」。柔らかい口調ながら、厳しく日本人に決断を迫っている。” * それから百余年経ち、日本はカンペキなる「西洋覇道の犬」を首相に戴く次第。
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「日本のウクライナ化」を危ぶみ、警鐘を鳴らし続けておられる天木直人氏だが、今日のメルマガ表題に次があった-
「ロシアの次は中国だと宣言することになる5月23日の日米首脳会談」
「日本のNATO参加を騒がない日本の護憲政治の機能不全」
その記事で描出されている現下 日本の状況は、戦前のジャーナリスト・鈴木天眼氏が体を張って渾身の糾弾を続けた、軍国主義路線まっしぐらだった当時の日本の状況と やけに重なる。
「鈴木天眼 反戦反骨の大アジア主義」/高橋信雄-
“外務省政務局長・阿部守太郎の暗殺事件が起きる前に、すでに日本外交弱腰批判、阿部政務局長糾弾の記事が大新聞にあふれていた。国家主義団体ならずとも、一般読者は連日の記事を読むうちに、政府の弱腰への憤激と、中国政府軍への復讐心を漲らせるようになっていた。
ある新聞の社説は中国出兵を強硬に主張した上で、日本政府が思い通りに動かないので「我輩甚だ憂慮に堪へず」と結んだ。天眼はこの社説を痛烈に批判した。「論の本旨は出兵催促! 武断外交! 他に一物無し」。「只、出兵の時抦=つづいて満蒙侵略=のチャンスを何故活用せざるやと焦るのである」。また別の記事も、「対支外交を誤りたる過半の責任」は阿部局長にあると糾弾した上で、「先ず馬謖を斬れ」「阿部局長を我が外交界より葬らざるべからず」と断じた...
このような新聞の論調には、物事を多角的に考察し、冷静かつ合理的に判断するという思考態度はない。「零点と、さうして沸騰点! 而して中間温度の昇降余地を意識せず。これが日本論壇の作文常癖である」と天眼は言う。日頃、理知的、進歩的に装っていても、いざとなると、武断一辺倒の本性を顕わにしてしまう大新聞が多かったのである...新聞がこんな調子では、社会の羅針盤の役割を果たすものがなくなってしまう。国民にとって不幸なことである...”
“天皇を神であると信じ続けた日本人は敗戦を境に、まことに器用に信仰を捨て、ひたすら忘却に身を委ねながら新たな発展の道を歩み続けた。その異様は語るまでもないだろう。肝に銘じておかなければならない問題は、過去の過ちを忘れる人間は、同じことを繰返すということだ。顧みて教訓を得ることを怠れば、同じ過ちを防ごうとしても、防ぐ方法を持ち得ないということだ。この先、絶対的権威の前にひれ伏しながら、日本国民全員が一斉に死に向かって突進するということが起こらないとは限らない。なにしろ、2発の原爆を投下されても、なお本土決戦、1億総玉砕を叫び、天皇を神と信じて天皇のために1億の民が挙って死に急ぐ国民総自殺の準備を進めていたのは、わずか76年前のことである...戦後の我々が、戦前とほとんど変わらぬ危うさを抱えた国民であることが分かるだろう。”
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こうなると、事は「DSの言いなり」か否かだけの話でない。さすがに戦前に「DSの言いなり」は無いだろう。ご著書「日本国の正体」が重くのしかかる。やはり、総じて日本人は、元々民度は低いが、愚民度は高い━これだろう。
上記「鈴木天眼」によると、孫文は最後の訪日演説で次の通り強調したという-
“「東洋の文化は道徳仁義を中心とする王道文化であり、西洋の文化は武力、鉄砲を中心とする覇道文化である。大アジア主義とは文化の問題であり、我々アジア民族は団結して仁義道徳を中心とするアジア文明の復興を図り、この文明の力をもって西洋の覇道文化、西洋の横暴なる圧迫に抵抗しなければならない」。孫文は日本人にともに歩むべき道を指し示し、行動を求めた。聴衆は熱狂的な拍手で、孫文の主張に賛意を表したという。後に活字になった講演録には、次のような締め括りの言葉が追加されている。
「日本は既に西洋の覇道文化を得ていると同時に、東洋の王道文化の本質も持っている。今後、日本が世界の文化の前途に対して、結局のところ、西洋覇道の犬となるか、東洋王道の干城となるか、それは、あなたがた日本国民が慎重にお選びになればよいことです」。柔らかい口調ながら、厳しく日本人に決断を迫っている。”
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それから百余年経ち、日本はカンペキなる「西洋覇道の犬」を首相に戴く次第。